「子育て」と「自分(の軸)を作る」の話
多くの人たちは、子育ては大変、そう感じていると思います。
それは実際に子供を育ててきた人、今まさにその最中の人、これから子育てを経験するであろう人。
様々な状況にいる方にお読みいただいていることと思います。
子育てというものは、ボランティアと表現されることもありますね。
神仏からの預かりもので(授かりもの)である赤ちゃん、子供たちを真の人間、大人へと育て上げることが子育て
そのように考えている素晴らしい人たちも多くいることでしょう。
そしてそれは、大変難しいものと感じることと思います。
子育てをすることで、自身の成長につながっていることに気づいている人もいらっしゃることでしょう。
ただ、ワタシにはこのように伝わってきます。
自分に対しても子育てするように扱いなさい
人間はこの地球上にいる限り、いくらでも成長は可能であり、変化も可能であることを伝えてきます。
それはワタシも重々感じております。
そして、それはまさに子育てをするかのように、自分を観察し、大切に扱い、時には戒めることも、忍耐させることも必要となるのです。
そのために、試練だと感じること、乗り越えなければならないことも起こってくるわけです。
人間は残念なことに、大人という年齢になると、自分は完成した、またはこれ以上何にもなれない、そう感じてしまう人も多くみられます。
それは間違いとも言えます。それはあり得ないということです。
成長すべきことや、正すべき箇所は無数にあり、大人になれば世のため人のために働けて当然だと考えることも、正しいとは思えません。
常に、年相応だけでなく、心の成長が必要となってきます。
そして、いつまで経っても、自分を育て続けていく必要があると考えます。
あなたは、我が子にはどう育って欲しいか、どのような人間になって欲しいと思いますか?
どのような想いで生きて欲しいと思うのか
どのような表情で、どのような行動を、どのような生き方を望んでいるのか…
我が子がお腹にいることを想像してみてください。それは男性であっても可能です。想像ですから✨
そして
この子にはどう育ってもらいたい?
お腹から出てきたら、一緒に何をしてみたい?
どんな話をしてあげたい?聞かせたい?
一緒にどこに行こうか、何を観させたいのか…
色々と想像してみてください。
実はこれは、自分に対しても全く同じことが必要なわけです。
心で日々不満ばかりがつのり、ストレスを抱えているのであれば、なおさら必要なことだと思います。
そのような場合、心が何を求めているかもわからなくなることと思います。
ただ、心の求めることを探し、見つけ出すことよりも、子育てをするように、客観的に、また愛しい我が子を愛でるように、
何をしてあげたいのか考え、それをしてあげること。まさに子育てと同じなわけです。
自分が子供ならば、と考えるのではなく、「我が子ならばどうしてやりたいか」を考えることです。
どのような教えや宗教も、自分の望むことは自分でしかわからない、そのように伝えてきます。
でも、それが出来ないから、自分以外の何かにすがらなければならない状態となり、宗教や自分以外の何かに執着してしまったり、過度な投資をしてしまったりという状況に陥りがちです。
確かに、何か信仰をもつ、ということは、自分を強く保つための一つの方法です。
だって、なにか起こったときには、自分以外の何かのせいにできますしね。
でも、本来そうである必要はなく、自分自身を信じてやることが一番大切であるのではないのでしょうか。
そしてそれはまさに、子育てと同じ。
可愛いと思うことが愛ではありません。愛とは、思いやりの心、感謝の心、信じる心だと思います。
自分自身に愛を。それは、自分を俯瞰して思いやる、感謝できる、信じるということができているか、という評価にもつながってくると感じています。
たとえば、今から子育てをすると考えた場合、あなたは、どのようなことをしてあげたいと感じますか?
それは、人間関係、仕事、観るもの体験すること、すべてについて考えてみてください。
そして何歳からでも全く関係ない、遅くもない。
それを自分に対し行ってください。
そうすることで、他人の目を気にする自分を卒業できるかもしれませんね。気にする時間がなくなるはずです。忙しくなりますよ。
最後に…
可愛いがるだけでは、子供はまっすぐに育たないこと。そちらもお知りおきくださいね🍀
