始まる伏線回収のこれから~かたりむすび
人は時に「なぜ、このようなつまらないことを鮮明に覚えているのだろう」そう思うことがあるはず。
忘れたいが、忘れない。なぜだか理由が知りたい。
それは「知らなければならないことがある」と感じることもあるだろう。
ワタシがやっていきたいことの中に「悔しい思いをしてきた者たちに寄り添いたい」ということがある。
なぜだかわからないが、そのような方とのご縁が多く、そして次のステージへと進む者を多く見てきたからであろう。
決して、答えを教えるわけではなく、ただ、ワタシの言葉たちが、当事者の進むきっかけになっただけなのだが。
何はともあれ、自分が意識的に望まなくとも他人の進む道が分かり、隣人の笑顔にしか幸せを感じられない自分の特性に気づいたときに、やっていきたいことに気づいたわけだ。
ワタシにとっての伏線回収。それは急に起こり始めた。
それはそれは長い年月に感じた。でも次に知るべきものは見えてくる、感じる。有難い。
自分の観ている景色、感じる感覚、それは特別なわけではなく、独特のものだと気づいたのは、人生半分は終えたかな、と思い始めた頃だった。
それは、きっと必然にやってきたものだった。
そしてそのヒントは、自分を取り巻く人間からの言葉。ワタシの場合は家族だった。
「ママ、いつまで生きる?」子供のこの何気ない言葉、しかも夕食中でのことだった。
子育てに必死だったワタシ。今出来ることを全力でやってきたつもりでいた。
子供はたくさんの病気をした。原因不明の病気にもかかり、そこにも必死に向き合ってきた、そのたびに、病気について学び、自分なりに考え、腑に落としてきた。
様々なトラブルにも対応してきた。それは、子供の学校関係、地域の問題、職場の雰囲気作り、家族関係など多岐に渡り。
正直、子供にそれを言われた時のワタシは疲れ切っていたのだと思う。そして「なぜ、ワタシなんだろう」そのように考えることが増えていた。
みななぜワタシを頼る、なぜワタシに聞いてくる…「自分のケツは自分で拭けよ」そのように思ってしまうほど、自分のことをする暇もなく、考える時間もなく、「おやすみ」のあとには3分以内には爆睡する毎日を過ごしていた。
そんなワタシが大きく変わったと気づいたのは、子供の進学と経済状況の改善の必要に迫られた時。
ヴァイオリンの音色で、心があることを知り(琴線に触れた)、そして、今までの自分は本当の自分ではなかったのかもしれないことに気づいたことだった。
なぜこのようなことが起こったのかを今まで10年近くに渡り調べてきたわけなのです。
今までの知恵知識興味だけでは、この問題に対応できないかもしれない、そう強く思ったときに、新たな自分を発見することとなった。それが「感受性と霊感」。
本当に今まで、子供の時から、田舎に住みながらも、たくさんの習い事をさせていただき、忙しい子供であったワタシ。
ずっと感じていたもの、見てきたもの、聞こえていたもの、突然現れたあるはずのないもの…それに対し「きっと疲れている、ワタシ…」そのスタンスで乗り越えてきたのだけれど、それを霊感として受け入れざるを得ない出来事があった。
そこからの気づきとして、人は、ある程度現実生活と向き合い続けると次の学びとして、精神の向上に向けて目覚めを促される
このような仮説が浮かんだのである。
そして感じすぎて、聞こえすぎて外出に過度なエネルギーを使うような生活は、約3年ほど続いた。その間、今までのワタシにはなかった知識を取り入れ始め、今までのワタシならな行かないような場所にたくさん訪れることとなった。そして行きついたのは、ユタ・イタコなどの霊能者の元であった。
幸運にも、偽物と思われるような霊能者とはご縁はすぐに切れ、今では、メンターとなるような方とのお付き合いのみとなった。
やはり、自称霊能者は多く存在し、自分で学びを続けていると気づくわけであった。それは「人間力」「人間性」と言われるようなもののレベルを知ることとなった。そして、かつてワタシに占いを教えてくれた方の「意識のレベル」についても見えてきて、感想として、「やっとそのことに気づいたんだね」そう気づけるようになってきたのである。そしてその方さえも、自分が導く側だったかのような出来事も現れ始めた。
そして自分のことをもっと知らなければならない、そう強く感じ始めた。
占いといっても、様々なものが存在する。タロットなどの直感型のもの、四柱推命、算命学、宿曜、易、九星術、東洋の占星術、西洋の占星術、手相、人相、他。さらにヒューマンデザインのようなものもそう、密教占星術はワタシには向いていると感じるし、また、思想、哲学、科学、量子力学、化学、音楽療法、心理学、神道、仏教、密教、道教、キリスト教…
広く浅く触れてきた。そしてそこから得られたものは、「初めはよい。ただ、人間が伝承していることで完成されていない」こと。
伝言ゲームの恐ろしさ、というかのか…時代に合わせての解釈だとは思うが、「善いとこどり」のつもりが、都合よい解釈へと変換され、それが受け継がれているという現実を痛感することとなった。
「完成されていない」
そう受けっとた場所。
それは、今年の霊火堂の火事で注目された大聖院であった。
大聖院本堂に、空海のような存在を感じ、ただ、涙が溢れるまま場を感じていると、「完成されてない」そう受け取った。
「だからって、ワタシは完成できないよ」そう返答したことを覚えている。
「本当の意味で物事が完成されることはあり得ない」そう考えるワタシにとって、なぜ「完成」を伝えてきたのか、それはまだ本当の意味では理解出来ていない。果たして、「完成」は人を幸せにするのか、そう考えてみても、ワタシには完成後の新たな出発の心配や不安しかないことに気づいた。
これを、ワタシ自身へのメッセージだったと考えてみた今、やっと、ワタシの向かうべき道が分かってきたのである。しかもこれは、「完成」されるものではないだろうし、これからの人生をかけて向き合うこととなるものになることは、重々承知である。
さて、現実的と言いますか、目で見、身体を使って行うミッションを誰もが人生の前半で経験しているわけですが、徐々に精神的な学びをするよう促されていきます。理由はもう、分かりますよね。
そしてそこに気づいたワタシがもがいていたわけですが、やはり学び続けていくと、手放すことも、周りのことも、他人のことも、お金への執着や心配が無くなっていることに気づいたわけです。
もちろん欲しくないわけでないし、寂しくないわけでもない。でも「時が来た」それを悟ることができること。また「心が迷いなく受け取っている」感覚があるのです。それは「根拠のない安心感」があるのです。これは楽観とも言えるのか、達観なのか…それさえも「どうでもいい」状態。
人間としての欲がなくなることは、本来非常に危険なことです。引っ張られやすいですからね。でもきちんと地に足をつけた状態で、魂が欲しがるその状態を、自分の身体と心が受け入れられる状態、つまり「三位一体」のような自分になれたときに、初めて自分の使命と言いますか、「仕事での到達点」や「新たな課題」というものに新しく自分で気づいていく流れに入っていくのです。
そしてそれは、他の誰かから与えられるかもしれませんが、一番大切なことは「それを聞いたときに、自分がすんなりと受け入れられる状態」なのです。
見えない世界についてまだまだ未知すぎ、受け入れていない状態のワタシも、同じようなことを目にし、耳にする機会がありました。でもその時は「なんでワタシなんだ」「ワタシの何がダメなのか」「ワタシにはもっとやりたいことがある」そう言っていた時期を経験してきました。そのように文句を垂れながらも、目の前に起こることをこなしてきたことにより、今のワタシがいるわけです。
すると、7年前、あんなに辞めたくなかった仕事や離れたくなかった場所への執着がなくなり、自然と「今が辞めるとき」そのような心の状態になってきたのです。そして決断は益々速くなる…
伏線回収しながら、自分を高めていくわけです。
まだまだ知らないことばかりの世の中ですから、この世の真理にたどり着けるわけもないと思っていますから、ワタシはまだまだこの人間生活をしていくのでしょう。ただワタシの居る場所は、「どっぷり人間」ではなく、「あわい」。
やっと、自分の仕事の到達点が見えた、という話もしましたが、それがこのようなブログに始まり、人生相談を受けることに繋がっていくと思っています。そして自分の持つ、霊感・感受性は、自分を苦しめるために気づいたわけではなく、照射として使うこと。受けるのではなく、照らすために使う、それは人のために使っていく、そのように今の時点では理解しております。
この仕事に対する気づきは、到達の域だとも思っていません。ただ、ワタシには腹(肚)の感覚がある。この感覚は、社会のために使っていくと他にも言われ、自分でも重々承知。
様々な占術から導かれたワタシという存在は、やはり、地球の中で生きる権利があると感じています。
自分の目、耳、鼻、口、思うことに責任と自信を持ち、その上で発揮される霊感覚を信じ吟味し、お伝えしていきたいなと考えている。
今日はここまでかな🍀
お読みいただきありがとうございます。

