タグ: 音楽占心術

  • 自分の活かし方・命の使い方を考える本響学

    今人間として生きている私たち。人間だから出来ることを考える。

    その活かし方について、自分で答えを見つけていくことを目的にしているのが、本響学であります。

    活かす方法を見つけるヒントをお伝えしていきたいとの想いで生まれたのが、音楽占心術。

    そして、それを支えるのが、人生調律師、響導師という者。

    「音楽」とつく以上、音楽は関係してきます。

    ただ、音楽を演奏することに得意不得意は関係なく、音楽を使わせていただいているものとなります。これから音楽をやってみたい、そのような方には特にお勧めさせていただけます。

    こちらは、ワタシ自身の経験を元にしておりますので、一般的にいう、世の中で証明されたものではないものかもしれませんが、

    ワタシが体験し、20年に渡る音楽を指導する立場から得た情報をまとめた結果、それらから導きだした、カリキュラム。

    そして、「響き」という目には見えないものを説明するひとつの手段として、占術を用いる、ということになります。

    ワタシ自身、本当の意味で音楽の素晴らしさ、影響力を知ったのはこの10年ほどのこと。

    そして、今はHSPなどとも言われる、感受性の強い方たちが、自身の感受性について気づき始めたこの時代だからこそ、始められる学びかもしれません。

    世の中の変化、今の子供たちを見ていると、育ち云々よりも、持って生まれたものが、一昔前とは違っていることに気づいていました。

    それは時代のせいでも時代のおかげでもなく、明らかに、持っているものが私たち大人とは別物。

    「昔はよかった」「昔はこうだった」と語る前に、今は今でしかありませんから、大人が今に合わせるしかないのです。

    思い出を美化しすぎてしまう、人間の愚かさ、それにも気づいたことがこの本響学を探究するきっかけとなったことには、感謝しかありません。

    「何も間違えはなく、正解もない」とも言われるこの時代。

    その意味を正しく知るためでもあります。それは

    「なんでも許されるわけではない」「なんでもいいわけではない」「好きなことだけをして生きればよいわけではない」のです。

    それをしても許される者がいるとすれば、自分を大切にしている人間。

    それは大切にする=甘やかすわけではないこと。

    過剰に心配しすぎたり、守ることに徹することでもない。

    自分を大切にするとは、自分を理解している人ができることでもあるわけです。

    自由と我儘が同じと考える世の中にもなっています。

    それは沖縄弁でよく皆さんも聞かれる「なんくるないさ」

    その言葉の認知具合にも現れています。

    元々「なんくるないさ」の前に「まくとぅーそーけー」という言葉があっての「なんくるないさ」なのです。

    誠の心で真っすぐに生きていれば、自然とどうにかなっていく(うまくいく)さ

    本来は、これですよね。

    自分に都合の良いもの、良いところだけを切り取って、それを生きる糧、生き方とされている人が多く見えるわけです。

    全体を把握できない者に、今を見ることが出来ないように、

    「今を生きる」ことさえも、全体の中の今であるわけですから、

    もっともっと賢くなる必要さえもあるわけです。

    感受性の強い者が、気づき始めているという現実。

    それは、私たちが生きていくためには、それぞれ感受性を呼び起こす必要があるということ。

    感受性を呼び起こし、感性として表現することができるようヒントを与えられる本響学になっていくことを目標としております。

    重い話ではなく、あくまでヒント。

    深刻になりすぎず、気づきのための一つの資料になれたなら幸いです。

    次はそろそろ、学びに入っていくことができればいいなと思っております🍀

  • 本響学における「響き」とは

    「響き」と聞くと、何か発したものが返ってきたときに感じるものであると思います。

    本響学ではこの「響き」という言葉を大切にし、理念の中心においています。

    「響きそのもの」「響くこと」「響かせること」

    ワタシ自身も特に好きな音をもつ言葉です。

    そして本題、ワタシの大切にしている本響学における理念であり、これからも育てていくべきこと。

    人は、自分本来の響きを思いだしたときに、人生が自然と調和し始める

    こちらになります。

    さてその響きについて、説明させていただきたい。


    本響学における「響き」とは

    「響き」とは音ではない。

    言葉でもない。

    感情だけでもない。

    それは、人が生まれながらに持つ「生命の振動」であります。

    私たちは何かを考える前に、感じている。

    見る前に気づくことがある。

    言葉になる前に、身体が知っていることがある。

    本響学では、この「言葉になる前の、生命の反応を「響き」と呼ぶ。」

    「響き」は五感よりも深く、

    直感よりも自然で、

    魂という言葉よりも、日常に存在する。

    人は誰もが、自分だけの響きを持って生まれてくる。

    しかし、生きていく中で

    常識、役割、恐れ、他人の期待、過去の経験などによって

    その響きは少しずつ聞こえにくくなってくる。

    すると人生は「考えて選択する」ことが増え、

    本来の自分から離れていくこととなる。

    本響学は、その「失われた響き」を思い出す学問である。


    響きは共鳴する

    人は一人では「響き」を確認できない。

    人と出会い、自然に触れ、音楽に包まれ、言葉に涙し、静けさに身を置いたとき、

    本来の響きは共鳴を始める。

    だから音楽には力がある。

    占いにも意味がある。

    対話にも価値がある。

    音楽は、プロになるためにあるわけではない。

    占いは、未来を当てるためだけにあるわけではない。

    対話は、人間関係構築のためだけに存在するわけではない。

    すべては、その人自身の響きを思い出すために存在している。


    響きに正解はない

    本響学は、正しい生き方を教えるものではない。

    響きに正解はない。

    一人ひとり違うからこそ、美しい。

    大切なことは、

    他人の音になるわけではなく、自分の響きを生きることである。


    響きは「0」から生まれる

    ワタシは、「0(ゼロ)」という数字に可能性を感じています。

    本響学では、「0」は「無」ではありません。

    すべてが始まる前の静けさであり、

    まだ何者でもない自由であり、

    可能性が閉じ込められた空間である。

    響きは、この静寂から生まれる。

    静けさがあるから、音が響くように、

    余白があるから人生が広がるように・・・

    何もないのではなく、すべてになれる場所。可能性のある場所。

    それが本響学における「0」の世界となります。


    響きはあなたの生きる人生そのものである

    本響学は、音楽を専門に教える学問ではないのです。

    占いを教える学問でもない、

    カウンセリングを通して、依存させる学問でもないのです。

    それらを通して、

    「あなたは本来どんな響きを持って生まれてきたのか」

    自分自身で納得がいくように答えを思い出す学問になるでしょう。

    人生を変える必要はない、

    ただ本来の響きに還るだけでいい。

    他人が何を言おうと、自分が納得すれば、すべての運命は巡り始める。

    そして、その響きは必ず、誰かの心を震わせることとなる。

    人生は「いかに成功すること」が目的ではなく、「いかに響かせること」が目的であることに気づいていただくためのものになる。


    本響学の核となること

    それは

    思い出すこと

    新しい知識を増やすことだけでなく、

    自分の中にすでにあるものを聴き直すこと。

    そのために使うものが

    「音楽」「占い」「カウンセリング」=音楽占心術

    これらは手段です。

    本響学が大切にする「響き」は、他人の評価では測れないもの。

    それは、自分の内側と外側が調和したときに自然と生まれ、

    人との出会いや自然とのつながりの中で共鳴し、

    人生そのものを豊かにしていくもの。

    ワタシ個人の考えとしては、

    〇音楽でプロを育てたいわけではなく、音楽を使わせていただき、一人ひとりが人生の豊かさを取り戻す力を思い出していただきたいこと。

    〇占いは人の気持ちを知るためのものではなく、自分の覚悟を決めるために使わせていただくこと。

    ここにあります。


    今日聴いていただきたい音楽とメッセージ🎵

    この本響学を始めるヒントになりました、一曲をお伝えしてみたいです。

    それは

    「いつも何度でも」覚和歌子作詞/木村弓作曲

    歌詞をつけておきますね♪

    🎵呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも心躍る 夢を見たい

    悲しみは 数えきれないけれど

    その向こうできっと あなたに会える

    繰り返すあやまちの そのたび 人は

    ただ青い空の 青さを知る

    果てしなく道は続いて見えるけれど

    この両手は 光を抱ける

    サヨナラのときの 静かな胸

    ゼロのなる体が 耳をすませる

    生きている不思議 死んでいく不思議

    花も風も街も みんな同じ

    呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも何度でも 夢を描こう

    悲しみの数を 言い尽くすより

    同じくちびるで そっと歌おう

    閉じていく思い出の その中にいつも

    忘れたくない ささやきを聞く

    こなごなに砕かれた 鏡の上にも

    新しい景色が 映される

    はじまりの朝の 静かな窓

    ゼロになるからだ 充たされてゆけ

    海の彼方には もう探さない

    輝くものは いつもここに

    わたしの中に 見つけられたから🎵

    ワタシの解釈

    〇悲しみの向こうで会える「あなた」は「本来の自分」

    〇繰り返す葛藤、後悔、失敗があるから、青い空の「青色」を深く知ることができる。そこに、今ある幸せ、現実(あなた)を見ることが出来る。

    〇「ゼロ」とはリセットではなく、ひとつが完了し、新しく始まること。

    〇生も死も、同じ。

    〇あなたの口は悲観的なことを言うためにあるわけではなく、次に進もうと歌い出すためにある。

    〇「閉じていく~ささやきを聞く」は、変化を恐れている気持ちを表す。

    〇心が粉々に砕かれようとも、また新しいあなたが常に始まりを迎えている。

    〇ゼロになる体が充たされる、それはまた新しいあなたを発見する旅の始まりへの期待。

    〇見えないものを想像で追い求めるのではなく、自分はすでにすべて知っていること、すでに持っていることを知り、自分を認め、自己統合へと向かおう。

  • 人生は調律できる

    調律・・・「ピアノの調律」などの言葉をお聞きになったこともあるかと思います。

    楽器における調律の意味は

    〇楽器の音程を基準音に合わせていく作業

    〇音の高さだけでなく、響きやバランスも整える

    〇楽器の音高を、ある音律に合うように整えること

    そのようなことを言います。

    その楽器ごとにプロにより行われる作業であります。

    また調律が必要な理由ですが、

    ピアノで言えば、よく弾くあたりの音はズレやすいですし、

    また、あまりに弾くことも日々の手入れもされていないようなピアノでさえ

    音律が狂うことは普通にあるわけです。

    そのズレ自体は、日々段々と進んでまいりますので、気づきにくいもの。

    必ず必要となってきます。

    電子楽器には調律が必要な場合はほぼないのでしょうが

    やはり、木材で作られたピアノを含む弦楽器、金管楽器、打楽器など、

    調律は、他の楽器(人)ともセッションともなると、必須です。

    ここで「人生の調律」の話に入っていきますが、

    人間とはすでにご存じの通り、生身です。

    調律やメンテナンスと言ったものは、肉体だけに限らず、心、環境など、多岐にわたって必要なわけです。


    人生の調律のために、緩めること

    楽器の調律の際、まずは弦を緩めた上で、整えていきます。

    だからこそ人間も同じ。

    体を緩める

    心を緩める

    思考を緩める

    これが、人生の調律にとって必要となってきます

    「ゆるむ」ということ。

    緩めるために、環境や時間にも余裕が必要です。

    中々難しい方も多いと思います。でも緩むことがどれだけ大切なことか、記してみます。

    こだわりすぎているとき・・・それは思考が偏っています。

    好き嫌いが強くなっているとき・・・心が固まってきています

    緩んでいる状態とは、

    たとえ好き嫌いがあったとしても、他人に強要しませんし、

    たとえ他人が自分の思うように動いてくれなくても、同じ考えでなくても、

    「そういうこともあるよね」そう思えたりするものです。

    コントロールをしようとは思わないものです。

    たとえば、自分の運勢について占ったとします。その結果が、まったく当たらないとき、つまり「誰ですか?これは・・・」そのような結果を与えられた場合の反応が、緩んでいる方とそうでない方では大きく差が出ます。

    当たらなかった、もう聞かない、しない

    と捉えるのか、それとも

    そんな可能性もあるんだ、新しい発見や経験ができるかもね

    と捉えるか、のような差が生まれてきます。

    本響学の中で求めていきたいものが、後者のものとなっていきます。

    すべては答えでなく、ヒントである、その目線が必要になるからでもあります。

    それは、自分に対しても、他人に対しても緩んでいる状態。

    それは許しであり、赦しであり、緩しである状態。

    この状態をまず作り、人生の調律へ入っていきます。

    調律とは、よりよく響くためにするものであります。

    それは人生でも同じ。

    よりよく響く人生とは、住んでいる世界のステージを上げていくことと同じです。

    そのために調律するものは

    意識であり、心であり、体であります。

    そのことが魂へ響き、成長(ステージアップ)につながっていきます。

    どうぞ、調律のために、まずは緩めてまいりましょう。

  • 人はなぜ迷い、悩むのか

    本響学の目的として、自己信頼を得ることが大きな割合を占めます。

    人が迷う理由のひとつとして

    その自己信頼の部分が弱くなっている状態とも言えると思っています。

    自分を信じられない状態・・・

    その理由としては、自分以外のものからの影響が多いとも思いますが、

    その前提として、

    「あなたの体の調子はいかがでしょうか」

    その問いを大切にしています。

    人が悩むとき、迷うときというのは、バランスが悪いのです。

    そのバランスとは、いったい何のことを指すのでしょうか


    心と体と魂のバランス

    音響学にとって、中心となる大切なことのひとつのお話をしてまいります。

    ひとりの人間にとって、身体があり、心があり、霊体ともいえる魂の存在があることは、今や多くの方がお気づきのことでしょう。

    体ひとつとっても、ご先祖から受け継いだものであります。

    遺伝することも多く分かっていますね。

    この目に見えている体(肉体)とは、受け継がれたいただきものであります。

    そして心。

    心とは今の自分が生まれてから今までの人生で感じ、考えて出した答えの集結されたものと考えがちですが、

    それとは別に、関わってきた人間関係や環境やこなしてきた経験からも多く影響を受け、作られたものでもあります。

    その結果、心を閉ざしてしまったり、また広げて受け取ってみよう、与えてみようと動き続けるものでもあります。

    そして魂。

    魂の存在をどれだけの方が認めているのかは分かりませんが、私の経験上では、存在するものであります。

    魂は常に移動しますし、身体から出ることもあります、ズレることもあります。そのズレにより、意識が定まらなかったり、注意力が散漫にもなってしまうことがあるくらいです。

    また魂を飛ばす、ということもあるくらい、念として、自分の魂の破片を無意識に飛ばしてしまうこともあるくらい、亡くなった人のものだけではないということはあります。

    ただ、ズレたり飛んでいったとしても、下丹田でつながっているため生活は出来ていくもの。

    その魂がもつものは、過去世の経験や想いの図書館とでも言いますか、今世以外の自分、つまり、霊体の経験値のある場所とも言えます。そこには、よい思い出だけでなく、過去の後悔も含まれているわけです。

    そして成長したいのは、身体(肉体)だけに限らず、魂も同じであります。

    バランスの話に戻りますが、その心・体・魂はそれぞれ存在し、統合された状態、それは「心・体・魂の思いや願い、向かう方向性が同じ状態」が健やかな状態であり、これらは、ズレることが十分あり得るわけです。

    私たちの感覚としては

    「頭でわかっていても、身体が動かない、ついていかない」

    このような感覚が伝わりやすいと思います。

    実は、心・体・魂の想い、願いを同じにすること、それは

    本来はすごく難題であるわけです。

    それぞれ、育った環境が違うわけです。受け取ったものが違うのです。受け取るものが違うのです。求めるものは同じではないのです。

    「気持ち」と「思考」と「本来の自分」が違う状態・・・

    これは十分あり得ることであり、同じにするためには、覚悟が必要、決めるという作業が必要、ということにもなってくるわけです。

    だから人は悩み、迷いを繰り返すひとつの理由だと、本響学では伝えていきます。

    今のあなたの弱いから迷い、悩むわけではない、ということにもなってくるわけです。


    バランスを整えること=人生の調律とする

    バランスを整えるためにまずしていきたいこと。

    それは「魂の存在」を認めること。それは

    「いるかもしれないよね」「あるかもしれないよね」

    そのようなレベルでも構わないわけです。

    その上で、魂の結び目があるとされる、下丹田周辺の調整です。

    下腹と言われる場所。肚。腸。腰。

    それは強くするだけでなく、しなやかにすること。

    腸活。

    足上げバージョンの腹筋運動。

    そして一番大切な、呼吸。腹式呼吸。

    これは、私の音楽占心術の実践編となっています。

    呼吸は、吸うのではなく、「吐くこと」から始まります。

    歌う時、話す時、大きな声を出すとき・・・

    そのような時にはよく、「はい!息をしっかり吸って!!」

    と言われることが多いですよね。

    私の場合は反対です。「吐く練習」から始めます。

    人は、通常、浅い呼吸深い呼吸関係なく、今必要な分の息は

    意識しなくても体に入っているわけです。

    腹式呼吸をするためには、意識して、体中にある息を出す感覚を覚える必要があると考えます。

    それをすることで、魂がつながっている場所を把握できるようになってくることと体感しております。

    呼吸はまた実践編としてお伝えすることとして、まずは、

    「肚を鍛えて、しなやかに、健やかに保つ」ことに注力していただければ幸いです。

    そうすることで、覚悟を決めやすくなることを体感していただけるはずです。

    まさに「肚で決める」ための基盤作りとなっています。

    そしてそのことは、心と体と魂のバランスをとることの第一歩となっております。

    迷い、悩む時間が減っていることに気づいていくことでしょう。

    すべてはバランス。

    大丈夫、すべてうまく行きます。

  • なぜ本響学を始めるのか

    「人は何故、音や縁や出来事を身体で感じるのか」

    この問いについて深堀していきたかったため、本響学というものを始めることにしました。

    そこには様々な出来事や経験が重なったことがきっかけであります。

    一番の理由は、

    自分が音楽を続けてきたこと。

    音楽を指導してきたこと。

    演奏をしてきたこと。

    そこから、耳が育ち、勘が育ち、直感が育ち「なぜだかわかる」その感覚を多く体験したこと。

    人の演奏で苦しめられたこと。

    素敵な演奏で心が動いたこと。

    音色から奏者の想いや熱量、伝えたいこと、また

    奏者が次のフレーズを忘れた時、間違えたときなどの「気持ち」が私の身体に乗り移ったかのように感じる時期があったこと・・・

    まさに音楽で悩み、音楽で励まされ、音楽に支えられ、音楽で成長してきた自分自身の内面に気づいたことがきっかけではあります。


    自分の感受性の強さに気づいたのは、音楽を始めて30年ほど経った頃。

    他人にそれを指摘されようとも、演奏に必死だったころには自覚がなかった。

    ある日、とても不思議な体験をした。

    今までも何度も聴いたことのある曲。G線上のアリア。ヴァイオリンの演奏。

    しかもその奏者は仕事仲間。その曲の練習中、その時。

    「胸が開いた!!」それを体感し、その次に「頭が開いた!!」

    言葉にすると大変難しいのだが、とりあえず

    「身体が開いた」体感があったのだ。

    この時まで、必死で子育てと家事と音楽以外の仕事もこなしてきた私にとって

    音楽で癒された、音楽で自分に還る感覚を得たことは、生まれて初めてだったのだ。

    そこから私は、まさに精神病のような症状に悩まされた。

    自分の練習するべき曲が分かる・・・それは次に歌う曲。10曲に及んだ。

    次に行くべき場所がある感覚・・・今の場所や仲間から離れる時が来たことを告げられる・・・いったい誰に・・・?

    怖かった・・・せん妄かとも思ったし、統合失調症も疑った。

    でもそのころちょうどコロナの頃、不要不急の外出は出来ない頃。

    病院に行くこともできず、様子見にした。

    その間も、音楽のことに限らず、様々な幻聴が始まる。

    色んな情報が入ってくる。

    ただ、1年後にすべて理由が分かることとなった。

    幻聴はすべて現実となったのである。

    そこから沖縄のユタや、近所にいる霊媒師の方の力を借り、乗り越えること7年。家系の問題と向き合い、信仰というものについても考え、自分なりの答えを見つけ、今に至る。


    ここまで読んでいただいた方は、私のことをスピリチュアルに傾きすぎていると思われたことだろう。何かの信仰宗教者かと思われるかもしれない。決してそうではない。

    ただ、その不安定な時代、

    自分が他の何かや誰かを信じられたら、どれだけ楽になれるのだろう、と何度思ったことか。

    すがることが出来るものを見つけられたら、誰かのせいに出来たら恐怖や不安がなくなるのだろうか・・・そのようなことを何度考えたことか。

    そう、私は結局、自分自身しか信じることが出来ない性格は、

    精神が不安定な状態にあっても、変わらなかったのです。

    「答えは自分で出す事でしか、私は私らしく生きられない」そのことに気づいたと同時に、覚悟を決めました。

    「この恥ずかしい自分も見せながら、この途中経過までもを残していくこと」を。

    そして、支えてくれた家族がいたこと。家族でこのことを乗り越えたこと。感謝も同時に伝えていくこととなるでしょう。

    ~占術との出会い

    元々知っていたタロット占い師の元へ、講座を受けに行ったことに始まります。

    講座を受けるきっかけになったのはまさに「幻聴」

    「よっちゃんの元へ行きなさい」

    そう聞こえたことに始まります。

    そこで大アルカナのみの鑑定方法を学びました。

    そこで、自分には「読む力」があるのかもしれない、そう気づいたのです。

    「ちょっと私の恋愛を見てよ」そう先生から言われたのです。

    過去、現在、未来それぞれのカードを出したところで、

    特定の相手が居ることに気づきました、それまではその情報は全くなかった。

    でも、見えるし分かる、その感覚に自信を持ってよいのかもしれないと思った。

    ただ、私は元々占いに興味のない人間、信じきれないまま、自分と向き合うために扱うこととしました。

    そしてその時に思いつたこと。

    「この今の自分の状況はどこから来ているのだろう。不安定な理由はもしかすると、本来の自分ではないからなのではないだろうか」

    そう考えたわけです。

    そこから、数秘術、宿曜占星術、四柱推命、算命学などにより自分の特性(可能性)を調べていったわけです。

    元々の性格上、当たる、当たらないには興味はなかった。

    ただ「当たっていない」と思うものについては、

    「自分のまだ見ぬ可能性」ということにしておいた。

    その中に、占い師やカウンセラー、セラピストというものもあり、

    気づけばそのような仕事をすることとなっていたことに気づくこととなる。

    そうなってくると・・・

    「占いの結果を生きている自分」に嫌気がしてきたわけです。

    自分であれだけ考えて、試行錯誤して、決めて生きているつもりが、

    逃げられない宿命のようなものが存在していることに気づくわけである。

    それと同時に、占術の中で出てくる「やらなければいけないこと」をしていないことが苦しむ原因となっていたのかもしれない、ということに気づいたのです。

    そこから生まれたのが「音楽占心術」

    こちらについては、またblogで発表していくこととする。


    音楽と占術とカウンセリングの統合~

    「人生調律師」として、これから活動を始めたいと思っているわけですが、

    これ自体は

    音楽と占術とカウンセリングを統合したものとして

    これから発展させていきたい分野ではあります。

    私がこの「人生調律師」としてやろうとしていることは

    「なぜ今その悩みが起きているのか」を読み解き、「その人に必要な音(響き)」で心と身体を整え、「次の一歩」につなげていくこと。

    魔法ではありませんし、呪術でもありません。現実なのです。

    身体の特徴、音・心・魂それらを心理学、哲学、科学などの力もお借りし、整え進む方法を共に考えていくこと。伴奏者であります。

    音楽、行動心理学、サイキックについて学んだことも活かしながら、探求を続けていきます。

    もちろん、現実の生活を大切にしながら。それが一番大切なことだと思っております。

    なぜ本響学として打ち出していきたいのかは、

    今はまだ存在しない分野であり、

    本来の自分の可能性を知るという自分癒しの結果が、自分以外の方にも通用することかもしれない、そう思ったから。

    そして、私がそうできたように

    他への依存ではなく、すでに自己治癒力を持っていることに気づいていくこと。

    それは自立と自律を目指す生き方。

    それは他を頼ってはいけない、というわけではなく、

    他人や、見える・聞こえるといった情報は「答え」ではなく「ヒント」でしかない

    そのことに気づいていただきたい想いから来ています。