タグ: 人生の調律

  • 「呼吸」について~今ここから意識する呼吸のことについて

    正しい呼吸をしましょう

    これはヨガのように体を整えるためのものや、緊張状態を和らげるためにも言われますね。

    今まで声楽と言うものに触れてきたワタシにとって呼吸とは、生きていく中や、整える中で行う呼吸とは少し意識が違うものであったことは、この本響学を始めるきっかけにもなったわけです。


    呼吸とは

    吸って~吐いて~ お腹まで吸って~お腹から吐いて~

    これは間違いだとは思いません

    言いたいことはわかります。

    ただワタシの呼吸はまずは「吐くことから」始まるのです。

    それは正しく吐くということです。

    お腹から吐くのですね。肚と言われる場所。

    こちらは訓練が必要です。

    なぜ訓練が必要か…

    それは人間誰しも、息は「肺に入るもの」と思っています。

    肺に入ります。ただ、胸だけではなく、

    肚まで入る意識をする

    こちらが大切になります。

    意識をするためには…

    あなたの掌をお腹に当てれば良いわけです。へそより下、肚の部分です。

    さらにもっと大切なこと・・・

    それが「吐くこと」が上手くなること、です。

    深い呼吸をするためには、身体中の息を手放さなければなりません。

    人間動けている以上、常に意識しなくても一定量の息は体に入っているわけです。

    その上にさらに息を吸う・・・それでは、深い呼吸が可能にはなりにくいものです。

    まず吐く。肚から吐く。吐ききってください。そして

    息を吸うのではなく、身体の脱力だけ

    ここがポイントになります。

    体が緩んだ状態は、上質な酸素が体に充満していると思ってもいいと思います。

    実際、声楽家は

    声を出す(息を使う)時に、身体が膨らみ、伸びていくような姿勢に変化します。

    これは、ラジオ体操などで視られるような、伸びる時に吸うとは逆の身体の使い方となります。

    伸びる時に息を吐き、身体を緩めると同時に息が勝手に入る

    これが理想的な呼吸、体の状態です。

    「息は勝手に入ってくださるもの」これが本響学の考え方とも言います。

    息を吐く=流す・手放す このイメージです。

    必要な分、必要なものを身体は初めから知っている。

    買い貯めも必要ないのです。

    人間誰しも、生きていくのに必要なものはすべて持っている。

    それを思い出す練習にもなりますね。

    是非毎朝1分でもいい、実践してみてくださいね🍀

  • 般若心経とワタシと本響学

    般若心経とワタシの出会いは、ワタシの人生の中で特別な期間があったことに始まります。

    ワタシ自身の感受性が高まり過ぎた頃、ワタシは、今までにない感覚を感じることとなりました。

    それは人生の中でも衝撃的なことが立て続けに起こった時期であり、そのことが、偶然にも何人かの霊能者との出会う時期、元々付き合いのあった占い師との濃い時間を共に過ごすきっかけになった時期でもありました。

    曾祖母の声が聞こえ、ワタシを導く何かの存在がいることに気づいた時期でもありました。

    初めは「あー心療内科か精神科へ行かなければならない」そう思ったワタシでしたが、苦しむ中でも、人間らしい生活は送っている、家事もやっとこさでもこなしている、仕事も出来るものと辞めざるを得ないものがありましたが、家族に過度に負担をかけることなく出来ている、ましてや、ワタシが以前のようには動けなくなることで、家族が協力し、家事を手伝い、助け合うこととになるきっかけにもなったわけです。

    今では衝撃的なその期間が、家族内では笑い話にもなっているくらいです。

    自分に起こっていること、聞こえるものがただの妄想や幻聴、せん妄ではないことに気づくには、少しの期間を要しました。その中でタイミングよくやってくる(聴こえてくる)、「次に出会うべき人」「次にやるべきこと」などは、自分の意志や意識とは関係ないところからやってくるものだと気づいたことが大きな転換期になりました。

    沖縄のユタはこれを「カミダーリ」と言いました。

    よくよく聞くと、自身でカミダーリだと判断している人の中の多くは、統合失調症だと言います。でもあなたのは違う、それを判断いただけたきっかけは、聞こえていることのすべてが「予知」の出来事であったこと。そして霊能者の多くは言いました「こちらの世界に来なさい」「よく頑張ってきた」その言葉でした。

    そしてワタシの中で信じるしかない、と思わせてくださった出来事が、これです。

    とある神社へ呼ばれたと思いました。それは朝起きて一番です。

    その神社は遠くはありませんが、山を登らなければなりません。歩けば、2時間弱はかかる、でも一人で行かなければならない…

    以前に2度ほど、子供の保育園の行事で上ったその山にある神社。そういえばその時にもしものために保育士さんが車で山頂まできていたことを思い出しました。

    「やっぱり行かなければならない」そう思いました。

    天然記念物の大杉が二本立つその山。とても神聖である感覚は当時からしておりました。その奥にある神社。

    その神社にお参りのあと、大杉の前を歩くと、「あ、誰か人形をお供えしているわ」そう思いました。でもその人形の前を歩くと、人形が、ワタシを目で追うではありませんか‼ 視線を感じたワタシは、恐る恐る見てみると、フクロウの赤ちゃんがそこに座っているのです。この写真は一応「写真撮らせてね」と伝えてカメラを向けると、カメラ目線で応えてくれました。神聖すぎて連れて帰ることはしませんでしたが、とても素敵なお招きをいただいた時間でした。

    そこから、ワタシの人生での出来事は全て繋がっていたことを知らされる時間へとなっていきました。

    その後も益々霊感は鋭くなり、でもそれは「霊障」というものから「導き」というものにワタシの感じ方が変化をしていくこととなりました。

    もちろん、毎日の生活をこなしていくことが修行となることは以前から心得ていましたので、来るもの拒まず、の時期に突入していきました。

    そこから3年ほど経ち、来るもの拒まずの生き方から、境界を持つ生き方を学び、今に至ります。

    そのきっかけとなったのが、般若心経です。


    般若心経は今では毎朝唱えています。

    まずは今の嫁ぎ先の両親のご先祖に対し、また実家の両親のご先祖に対し、それぞれの題目を唱え、のちに般若心経を唱える。日課となっています。

    そうすることでワタシの意識が、霊障から導きへと変化してきたことに気づきました。

    霊障を悪いものと捉えがちですが、それ自体は良い悪いでは判断できることはなく、そこに同調している自分が居ることを知り、それらは何か言いたいことがある、伝えたい何かがあるのかもしれない、そういった考え方になるきっかけを与えてくれたのもです。

    ワタシにとっては朝の日課で続いている理由でもあります。これは自分を主体としているということにもなると思います。

    だから、よく勘違いされる、お経を唱えると祓うことができる、ということは、少し違う気がしています。

    これを本響学的に表すのであれば

    自分自身が良き響きの中にあるためには、「境界」と「共鳴」の両方が必要である

    そのための般若心経だった、ということです。

    繋がる先を選ぶということ。それも人間である以上必要なことです。

    中には、普通では見えないであろうものを見えるようになりたい、高次元というものとつながりたい、そう思う方も多くいると聞きますが、

    その方たちが見えないこと、つながれないと思う今の状態があるのであれば、それはあなたの人生にとって必要がないこと、または「今は」そのような状態が必要ない自分であることを知らなければなりません。

    時がくれば、すでに繋がっていたことに気づくこととなるでしょう。

    まずは、自分自身の内面、精神面、霊性の向上や成長に向き合う時なのです。

    自分の成長に必要ない出来事は起こらない、乗り越えられないことも起こるはずがない、そのことをまず受け入れることから始めてみてはいかがでしょうか。

    他人の生活や、他人の持っている能力や物質に目が行きすぎ、ないものねだりになりやすい世の中です。それさえも、自分の人生に起こっている「お試し」や「挑戦」だと気づくことも必要ですね。

    例えば、亡くなった方に会いたい、声を聞きたい、と思うのであれば、自分のエネルギー状態がその方と同じである必要があるわけです。

    それはつまり、その対象の方と意識を合わせる行為。普通に生きている人が行うには危険が伴うこともお分かりになると思います。

    またそれは、今この世に生きている憧れの人に追いつきたいのであれば、その人とエネルギーを合わせると出会える確率が増えるわけです。

    いつまでも憧れであるということは、自分よりも高い位置に相手の存在を感じているということ。だからこそ、自分の意識を向上させていくことが、出会えるきっかけを与えてくれるわけです。

    人間に限らず、物にしてもエネルギーでつながっているわけですから、自分が愛を送るだけでは中々叶うものも叶いません。近づく努力をする。

    でも一つ、希望をお伝えしたいのですが、

    あなたの理想は、あなたの可能性としてあるから、思い浮かんだり望んだりするわけです。これもエネルギーがなせる業です。あなたを向上させるために、その可能性に気づかせるために、自分の「理想」として目の前に現れたわけです。

    想像できるから、創造できる

    この事は、ワタシが今までの人生で経験したこと、また周りの方の話を聞いていて気づいたことであります。

    科学的に証明されていなくても、起こることは起こります。

    世界は不思議なことは常に起こっているわけです。

    すべての理由を知ろうとする必要もなく、その答えはいつか分かりますから、安心して本来の自分とつながってまいりましょう。

    それが現実を動かす唯一の方法だとも思っています🍀

  • 何度か言われたことのある、「信仰をもつ必要性」についての話

    「信仰を持つ」ということをお勧めされたことが何度かあります。

    今まで宗教のみならず、様々な心理学というもの、精神医学、量子力学などの科学、東洋医学、西洋医学、哲学、沖縄のユタやノロ、音楽、芸術など様々なものに触れる機会のある人生でしたが、そのせいか、迷ったときに言われてきた、「信仰を持つと良い」この言葉について、すごく難しさを感じています。

    その結果、たどり着いたワタシなりの「信仰」とは、今あるものを結んだ先にあるもので、それはもしかすれば、

    「自分自身」でしかないのかもしれない、と思うわけです。

    それぞれに良い部分や惹かれる部分が存在し、その惹かれたものについても、はたしてそれはそうと言い切れるのか、と心のモヤモヤが消えないものも出てくるわけです。なのでもう人生の半分は生きているであろうワタシですが、信仰の対象が見つからないままでいるわけです。

    果たしてこれは、ワタシが優柔不断だからでしょうか。

    そればかりではなく、「信仰できるものがあれば、それはもっと楽だっただろう」そう思うこともあったわけです。

    大変難しい「信仰」というもの。

    信仰の違いは、価値観の違いにもつながってくると思いますし、またそれぞれの正義というものが、争いを生むことにもなっている今の世の中。

    特定のものを信仰する人間がそのものを知らない他者から見ると、すべて同じ人間に見えている世の中。

    信仰=その者と決めつけられる世の中。

    本来人間とは、唯一無二。グループわけできるものではない、と考えるワタシだからこそ、この本響学というひとつの考え方を残していく運びとなったわけです。

    次回、信仰がないというワタシがこの数年惹かれる「般若心経と本響学」について残してみたいなと考えています。

  • なぜ本来の自分を生きていないのかに注目する

    人は出来事だけでは生きていることを体感できない。

    感覚と出来事が結びつき、自分なりの意味を見出した時に「私はここに生きている」という実感が生まれる。

    本響学とはその「響き」と「意味」が結ばれる瞬間を探究する学びとなる。

    これが今感じているワタシの考えをまとめたものです。

    また、こちらは共感いただける方にコメントもいただけることができればと思っています。共に作っていただける方を募集している学びでもあります。もしよろしければ皆様の体験や思うことも教えていただければ幸いです。

    ワタシの経験上では、本来の自分という可能性の中に居ないときに、物事が上手く運ばなくなるような体験をしてきました。

    さらに、ご相談いただいた方に向けた鑑定結果をお伝えする中で、共に考え、ご自身で進む方向性を決断いただいたときに、次々とチャンスが訪れたことも見てきました。

    それは、占いの結果をそのまま信じたわけではなく、様々な可能性の中から今のご自身に響いたものを、ご自身で選択した結果であると思います。

    もちろん中には「言われたことを意識したら、周りの見え方が変わった」との意見もいただきましたが、それは、ご自身が動かれた結果であり、ワタシの力でも鑑定の正確さでもないとワタシは毎度感じております。

    結局、元々転換期であったり、「変わりたい、変えたい」と思われる方に興味を持っていただいた結果なのですね。

    人は、出会うべきタイミングで、出会うべき人と会っているわけです。

    それは、長く続く縁だけではありません。

    ご縁の長さで、出会いについて良い悪いを判断できないからですね。

    スピリチュアルの世界で重要とされているような関係性、それはソウルメイトなどと言われる肩書きを求めることには本来何も意味はなく、最終的に、「みなソウルメイトだった」そう思えるくらい、「愛の人」へと進化していただくためだけにあると感じています。

    人は、いつも最高の自分の状態である、それを求めがちです。それは「自分は自分であることが完璧で素晴らしい」その言葉と勘違いしている状態だとも取れます。

    人は常に進化する、変化していくモノであると同時に、それを求められています。学びの中にある今はこれが最終形態、明日はまた最高に近づく、という謙虚さが必要でもあります。

    ここで「モノ」と表現したことにも意味があります。

    目に見えているワタシたち人間は、私たちが「物」として見えているものとなんら変わりないものであるわけです。それは優劣がないということ。

    見えているものはすべて敬い、大切にされるべきであり、大切にするもの。姿形、値段などでは、モノの価値は測れないというのが、ワタシに伝わるいわゆる神々という存在からの言葉であります。

    中身が大切、それは人間だけでなく物も同じ。そこを観られているわけです。


    さて、人はなぜ、本来の自分から離れてしまうのでしょうか。

    それは仕方のないこと。

    もしそれを悩まれている方がいるのであれば、まったくもって心配ありません。あなたのせいではないことに気づいてください。気づいたときから、あなたの人生が変化を始めるわけです。これもタイミングだったのでしょう。

    集団教育の中で育ち、持って生まれた個性だけでは、世の中で通用しないことを学びます。自分以外の価値観に触れるということ。

    子供は、生きていくために、保護者と言われる者の支配下に置かされます。「子供は未熟であり、守るべき存在である。」という考えが歪み、本当に支配されてしまう子供もいます。

    自分の叶えたかったもの、夢を、子供に託す保護者。

    子供の特性を観察することもなく、早期教育を与える、それが正義だと思っている。才能や方向性、性格を観ることもなく、見抜くことも出来ない大人たち。

    これは大人を責めているわけではなく、事実であります。現実であります。

    ただ、段々と子供たちは気づき始めます。「生きていく(安心して過ごす)ためには、保護者の求める姿になるほかない」と。

    すべての子供たちに当てはまるわけではありません。

    精神性の高い、観察力にもすぐれた大人も多くいるとも思います。ただ、大人だってずっと学びは終わらないわけですから、完璧ではないのです。

    ここまで、まるで「保護者や育った環境のせい」だと書いているようですが、子供だっていつまでも子供でいてよいはずはありません。

    子供自身も内省し、現実を受け入れながら、「自分はどうしたいのか」と自分で考え行動する「自立」と、自分をコントロールする「自律」が必要となってきます。それは必ずしも、すべての大人が教えられるものではないことも知る必要があります。自分で気づく必要があります。それは今の自分との対話の必要性に気づくこと、本来人間にはその力は持ち合わせています。すべては気づく必要があるということなのです。


    何か不自由が起こったり、理不尽なことに直面したときに、逃げる道を選ばず、その理由や原因、事実や事情を考えていくことをお勧めいたしております。

    〇事実…何が起きたのか(現象)

    〇原因…なぜ起きたのか(仕組み、要因)

    〇事情…どのような背景があったのか(環境、経緯)

    〇理由…その出来事や選択にどんな意味や意図があるのか(人の内面、価値観)

    どうしても、理由を知りたい私たち人間ですが、理由自体は、見る角度(誰を主軸に見るか)によって変わるものであります。

    事実と向き合い、原因を追究し、事情も考えながら、自分なりの理由を見出す

    この必要性があります。

    なんともこざかしいと感じる人もいるかもしれませんが、これは問題からの逃げ癖回避の方法です。

    自分の出した答えである理由は、一つしかない、それが正義だと思うことから変化させ、もう少し謙虚さも必要だとも思います。

    好きなことをして、イキイキしている方はもう気づいています。

    人生、面倒なことの方が多い。そして、好きなことをするために現実から逃げない必要があること。目の前のことをコツコツこなすことでしか、成功が見えてこないこと。

    他人が抱えている苦労は、自分にすべて見えていないという可能性も知る必要があります。


    なぜ、本来の自分を生きていないのかと考えてみると分かってくることがあると思います。

    自分から逃げていること。

    現実と向き合う力が弱いこと。

    自立(自分の足でしっかり立てること)できていないこと。

    それは誰かのせいにしている可能性。

    自分のことはすべて理解できているという傲慢さ。

    私たちは、一人で生きているわけではありません。

    でも、他の誰かのための自分になることが必要なわけではありません。

    意外と、自分以外のことを考えていたり見ている時間が多いことにも気づかなければなりません。

    本来の自分を生きている人は、意外と自分のすべきことで忙しいわけです。友人のことを考えることがあっても、相手の気持ちに共感してあげたいな、理解したいな、そのくらいです。もしかすると、恋愛からも遠ざかる生活になってしまうかもしれません。

    そのような状態でも、心優しく、気遣いができる人はいるわけです。

    まずは自立と自律を目指すこと

    意識してみていただければ幸いです🍀

  • 流れの中に人は美しさを観る

    人は流れの中で生きています。

    運命という流れ、時の流れ、空間にも流れは存在している。

    川の流れに心は浄化を見、

    海の流れに穏やかさを感じ心を満たされ、

    息(呼吸)かて意識しなくとも穏やかな流れの中にある時に

    心の平穏を体験することとなる。

    ピアノの指導をする中で、ある程度のレベルに達すると、「音楽を作る」という意識を持たせたレッスンを行います。

    「音楽を作る」という作業において、ワタシは「呼吸、息の流れ」を重要視しています。

    難曲になるにつれ、音を読むこと、間違えないこと、指使い、腕の使い方、身体の使い方にも注意がいきはじめ、どうしても呼吸が止まった弾き方をすることが増えます。練習の段階では仕方のないことですが、同じ場所で何度もつまずき、苦戦する生徒さんに向け伝えることは、

    「息してー!!」なのですね。

    息を流して、呼吸を忘れないように、それを伝えます。

    すると、大抵みな、笑顔になり、笑ってくれるのです。

    その後、深呼吸を行い、「次はワタシが隣で歌うから、一緒に演奏しよう」そのように持っていきます。

    すると、1音のミスを気にすることなく、音楽を感じ、ワタシの歌に合わせるかのように、笑顔で弾き続けてくれるのです。中には、つまずくばかりの場所をあっさりと弾きこなす人も。

    音のミスはないことにこしたことはありませんが、「音楽を作る」作業において、楽譜という2次元のものを、聞こえる状態にする3次元を超え、空間や時間を含む、立体的でもあり4次元以上の心地よいものにしていくことを目的としています。

    それはプロを育てることを目標としていない、ワタシだからこそ出来る、まずは「音楽を作る、流れを知り、見る、豊かな音楽は流れの中に存在する」ことを体験していただく機会となっています。

    元々音楽を教えたいと思った理由が

    「音楽をもっと身近に、大勢に聴かせるための音楽ではなく、大切な誰かのために気持ちを伝える手段としても使える楽器、音楽と触れ合ってほしい」でした。そのため、ワタシのせいで音楽を嫌いになってほしくない、そのような想いが大きい時期もあり不安もありました。ですが、他所の教室からの転入してきた生徒さんから、お試しレッスン後に「楽しかった」そう笑顔で感想をいただけたことが、ワタシの自信につながったことを覚えています。

    そして、その生徒さん自体は、耳が良いため、楽譜を見ることなく、スマートに弾いてくださった初めのレッスンもよく覚えています。今では、「楽譜は宝」と言わんばかりに、しっかり確認しながら弾くことができています。楽譜の意味が分かると、すごくうれしかったりもするのですよ。

    難しいのです、自己表現のための音楽をすることを目的にしながらも、楽譜に忠実に、も教える必要がある。音楽とは本当に奥が深いものなのです。

    そして、楽譜には、実は「呼吸の流れ、言葉(フレーズ)という流れ」のヒントも沢山あるわけです。それは作曲者の伝えたいこと。

    奏者自身の伝えたいこともあるかもしれませんが、作曲者の想いを無視するわけにもいかないわけです。でもそれは、「流れ」を意識することで、近づくことができると思っています。

    メロディーだけでなく、伴奏部分にも必ず意図や流れがあります。

    さらに奏者がその流れを理解し、そこに自らの呼吸の流れを吹き込むことにより、音楽が生きたものとなってくるように感じます。

    中でも「歌」はそれがよく現れるものに感じます。

    体という楽器を使い、息を流し、声帯を鳴らし活かし、身体で調整しながら発するものでありますから、ワタシのように変に感度の高い者が聴くと、生(生きた音楽)を感じるかどうかは一目瞭然。流れがないと(息の流れのない音だけで大きさだけで勝負の演奏をされると)ワタシ自身も苦しくなってくるほどです。

    このあと、ワタシが1番大切にしている、呼吸(歌うとき、話すとき)の仕方について書いていきたいと思っています。

    ただ、その前にどうしても「流れ」について知ってもらいたいなと思ったので、今日は語らせていただきました。

    流れにのれば、すべてうまく行くのかもしれない

    これが、ワタシがblogの中で大切に伝え続けたいことなのかな、とも感じ始めたわけです。

    ご参考になれば幸いです🍀

  • 自分の活かし方・命の使い方を考える本響学

    今人間として生きている私たち。人間だから出来ることを考える。

    その活かし方について、自分で答えを見つけていくことを目的にしているのが、本響学であります。

    活かす方法を見つけるヒントをお伝えしていきたいとの想いで生まれたのが、音楽占心術。

    そして、それを支えるのが、人生調律師、響導師という者。

    「音楽」とつく以上、音楽は関係してきます。

    ただ、音楽を演奏することに得意不得意は関係なく、音楽を使わせていただいているものとなります。これから音楽をやってみたい、そのような方には特にお勧めさせていただけます。

    こちらは、ワタシ自身の経験を元にしておりますので、一般的にいう、世の中で証明されたものではないものかもしれませんが、

    ワタシが体験し、20年に渡る音楽を指導する立場から得た情報をまとめた結果、それらから導きだした、カリキュラム。

    そして、「響き」という目には見えないものを説明するひとつの手段として、占術を用いる、ということになります。

    ワタシ自身、本当の意味で音楽の素晴らしさ、影響力を知ったのはこの10年ほどのこと。

    そして、今はHSPなどとも言われる、感受性の強い方たちが、自身の感受性について気づき始めたこの時代だからこそ、始められる学びかもしれません。

    世の中の変化、今の子供たちを見ていると、育ち云々よりも、持って生まれたものが、一昔前とは違っていることに気づいていました。

    それは時代のせいでも時代のおかげでもなく、明らかに、持っているものが私たち大人とは別物。

    「昔はよかった」「昔はこうだった」と語る前に、今は今でしかありませんから、大人が今に合わせるしかないのです。

    思い出を美化しすぎてしまう、人間の愚かさ、それにも気づいたことがこの本響学を探究するきっかけとなったことには、感謝しかありません。

    「何も間違えはなく、正解もない」とも言われるこの時代。

    その意味を正しく知るためでもあります。それは

    「なんでも許されるわけではない」「なんでもいいわけではない」「好きなことだけをして生きればよいわけではない」のです。

    それをしても許される者がいるとすれば、自分を大切にしている人間。

    それは大切にする=甘やかすわけではないこと。

    過剰に心配しすぎたり、守ることに徹することでもない。

    自分を大切にするとは、自分を理解している人ができることでもあるわけです。

    自由と我儘が同じと考える世の中にもなっています。

    それは沖縄弁でよく皆さんも聞かれる「なんくるないさ」

    その言葉の認知具合にも現れています。

    元々「なんくるないさ」の前に「まくとぅーそーけー」という言葉があっての「なんくるないさ」なのです。

    誠の心で真っすぐに生きていれば、自然とどうにかなっていく(うまくいく)さ

    本来は、これですよね。

    自分に都合の良いもの、良いところだけを切り取って、それを生きる糧、生き方とされている人が多く見えるわけです。

    全体を把握できない者に、今を見ることが出来ないように、

    「今を生きる」ことさえも、全体の中の今であるわけですから、

    もっともっと賢くなる必要さえもあるわけです。

    感受性の強い者が、気づき始めているという現実。

    それは、私たちが生きていくためには、それぞれ感受性を呼び起こす必要があるということ。

    感受性を呼び起こし、感性として表現することができるようヒントを与えられる本響学になっていくことを目標としております。

    重い話ではなく、あくまでヒント。

    深刻になりすぎず、気づきのための一つの資料になれたなら幸いです。

    次はそろそろ、学びに入っていくことができればいいなと思っております🍀

  • 本響学における「響き」とは

    「響き」と聞くと、何か発したものが返ってきたときに感じるものであると思います。

    本響学ではこの「響き」という言葉を大切にし、理念の中心においています。

    「響きそのもの」「響くこと」「響かせること」

    ワタシ自身も特に好きな音をもつ言葉です。

    そして本題、ワタシの大切にしている本響学における理念であり、これからも育てていくべきこと。

    人は、自分本来の響きを思いだしたときに、人生が自然と調和し始める

    こちらになります。

    さてその響きについて、説明させていただきたい。


    本響学における「響き」とは

    「響き」とは音ではない。

    言葉でもない。

    感情だけでもない。

    それは、人が生まれながらに持つ「生命の振動」であります。

    私たちは何かを考える前に、感じている。

    見る前に気づくことがある。

    言葉になる前に、身体が知っていることがある。

    本響学では、この「言葉になる前の、生命の反応を「響き」と呼ぶ。」

    「響き」は五感よりも深く、

    直感よりも自然で、

    魂という言葉よりも、日常に存在する。

    人は誰もが、自分だけの響きを持って生まれてくる。

    しかし、生きていく中で

    常識、役割、恐れ、他人の期待、過去の経験などによって

    その響きは少しずつ聞こえにくくなってくる。

    すると人生は「考えて選択する」ことが増え、

    本来の自分から離れていくこととなる。

    本響学は、その「失われた響き」を思い出す学問である。


    響きは共鳴する

    人は一人では「響き」を確認できない。

    人と出会い、自然に触れ、音楽に包まれ、言葉に涙し、静けさに身を置いたとき、

    本来の響きは共鳴を始める。

    だから音楽には力がある。

    占いにも意味がある。

    対話にも価値がある。

    音楽は、プロになるためにあるわけではない。

    占いは、未来を当てるためだけにあるわけではない。

    対話は、人間関係構築のためだけに存在するわけではない。

    すべては、その人自身の響きを思い出すために存在している。


    響きに正解はない

    本響学は、正しい生き方を教えるものではない。

    響きに正解はない。

    一人ひとり違うからこそ、美しい。

    大切なことは、

    他人の音になるわけではなく、自分の響きを生きることである。


    響きは「0」から生まれる

    ワタシは、「0(ゼロ)」という数字に可能性を感じています。

    本響学では、「0」は「無」ではありません。

    すべてが始まる前の静けさであり、

    まだ何者でもない自由であり、

    可能性が閉じ込められた空間である。

    響きは、この静寂から生まれる。

    静けさがあるから、音が響くように、

    余白があるから人生が広がるように・・・

    何もないのではなく、すべてになれる場所。可能性のある場所。

    それが本響学における「0」の世界となります。


    響きはあなたの生きる人生そのものである

    本響学は、音楽を専門に教える学問ではないのです。

    占いを教える学問でもない、

    カウンセリングを通して、依存させる学問でもないのです。

    それらを通して、

    「あなたは本来どんな響きを持って生まれてきたのか」

    自分自身で納得がいくように答えを思い出す学問になるでしょう。

    人生を変える必要はない、

    ただ本来の響きに還るだけでいい。

    他人が何を言おうと、自分が納得すれば、すべての運命は巡り始める。

    そして、その響きは必ず、誰かの心を震わせることとなる。

    人生は「いかに成功すること」が目的ではなく、「いかに響かせること」が目的であることに気づいていただくためのものになる。


    本響学の核となること

    それは

    思い出すこと

    新しい知識を増やすことだけでなく、

    自分の中にすでにあるものを聴き直すこと。

    そのために使うものが

    「音楽」「占い」「カウンセリング」=音楽占心術

    これらは手段です。

    本響学が大切にする「響き」は、他人の評価では測れないもの。

    それは、自分の内側と外側が調和したときに自然と生まれ、

    人との出会いや自然とのつながりの中で共鳴し、

    人生そのものを豊かにしていくもの。

    ワタシ個人の考えとしては、

    〇音楽でプロを育てたいわけではなく、音楽を使わせていただき、一人ひとりが人生の豊かさを取り戻す力を思い出していただきたいこと。

    〇占いは人の気持ちを知るためのものではなく、自分の覚悟を決めるために使わせていただくこと。

    ここにあります。


    今日聴いていただきたい音楽とメッセージ🎵

    この本響学を始めるヒントになりました、一曲をお伝えしてみたいです。

    それは

    「いつも何度でも」覚和歌子作詞/木村弓作曲

    歌詞をつけておきますね♪

    🎵呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも心躍る 夢を見たい

    悲しみは 数えきれないけれど

    その向こうできっと あなたに会える

    繰り返すあやまちの そのたび 人は

    ただ青い空の 青さを知る

    果てしなく道は続いて見えるけれど

    この両手は 光を抱ける

    サヨナラのときの 静かな胸

    ゼロのなる体が 耳をすませる

    生きている不思議 死んでいく不思議

    花も風も街も みんな同じ

    呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも何度でも 夢を描こう

    悲しみの数を 言い尽くすより

    同じくちびるで そっと歌おう

    閉じていく思い出の その中にいつも

    忘れたくない ささやきを聞く

    こなごなに砕かれた 鏡の上にも

    新しい景色が 映される

    はじまりの朝の 静かな窓

    ゼロになるからだ 充たされてゆけ

    海の彼方には もう探さない

    輝くものは いつもここに

    わたしの中に 見つけられたから🎵

    ワタシの解釈

    〇悲しみの向こうで会える「あなた」は「本来の自分」

    〇繰り返す葛藤、後悔、失敗があるから、青い空の「青色」を深く知ることができる。そこに、今ある幸せ、現実(あなた)を見ることが出来る。

    〇「ゼロ」とはリセットではなく、ひとつが完了し、新しく始まること。

    〇生も死も、同じ。

    〇あなたの口は悲観的なことを言うためにあるわけではなく、次に進もうと歌い出すためにある。

    〇「閉じていく~ささやきを聞く」は、変化を恐れている気持ちを表す。

    〇心が粉々に砕かれようとも、また新しいあなたが常に始まりを迎えている。

    〇ゼロになる体が充たされる、それはまた新しいあなたを発見する旅の始まりへの期待。

    〇見えないものを想像で追い求めるのではなく、自分はすでにすべて知っていること、すでに持っていることを知り、自分を認め、自己統合へと向かおう。

  • 人生は調律できる

    調律・・・「ピアノの調律」などの言葉をお聞きになったこともあるかと思います。

    楽器における調律の意味は

    〇楽器の音程を基準音に合わせていく作業

    〇音の高さだけでなく、響きやバランスも整える

    〇楽器の音高を、ある音律に合うように整えること

    そのようなことを言います。

    その楽器ごとにプロにより行われる作業であります。

    また調律が必要な理由ですが、

    ピアノで言えば、よく弾くあたりの音はズレやすいですし、

    また、あまりに弾くことも日々の手入れもされていないようなピアノでさえ

    音律が狂うことは普通にあるわけです。

    そのズレ自体は、日々段々と進んでまいりますので、気づきにくいもの。

    必ず必要となってきます。

    電子楽器には調律が必要な場合はほぼないのでしょうが

    やはり、木材で作られたピアノを含む弦楽器、金管楽器、打楽器など、

    調律は、他の楽器(人)ともセッションともなると、必須です。

    ここで「人生の調律」の話に入っていきますが、

    人間とはすでにご存じの通り、生身です。

    調律やメンテナンスと言ったものは、肉体だけに限らず、心、環境など、多岐にわたって必要なわけです。


    人生の調律のために、緩めること

    楽器の調律の際、まずは弦を緩めた上で、整えていきます。

    だからこそ人間も同じ。

    体を緩める

    心を緩める

    思考を緩める

    これが、人生の調律にとって必要となってきます

    「ゆるむ」ということ。

    緩めるために、環境や時間にも余裕が必要です。

    中々難しい方も多いと思います。でも緩むことがどれだけ大切なことか、記してみます。

    こだわりすぎているとき・・・それは思考が偏っています。

    好き嫌いが強くなっているとき・・・心が固まってきています

    緩んでいる状態とは、

    たとえ好き嫌いがあったとしても、他人に強要しませんし、

    たとえ他人が自分の思うように動いてくれなくても、同じ考えでなくても、

    「そういうこともあるよね」そう思えたりするものです。

    コントロールをしようとは思わないものです。

    たとえば、自分の運勢について占ったとします。その結果が、まったく当たらないとき、つまり「誰ですか?これは・・・」そのような結果を与えられた場合の反応が、緩んでいる方とそうでない方では大きく差が出ます。

    当たらなかった、もう聞かない、しない

    と捉えるのか、それとも

    そんな可能性もあるんだ、新しい発見や経験ができるかもね

    と捉えるか、のような差が生まれてきます。

    本響学の中で求めていきたいものが、後者のものとなっていきます。

    すべては答えでなく、ヒントである、その目線が必要になるからでもあります。

    それは、自分に対しても、他人に対しても緩んでいる状態。

    それは許しであり、赦しであり、緩しである状態。

    この状態をまず作り、人生の調律へ入っていきます。

    調律とは、よりよく響くためにするものであります。

    それは人生でも同じ。

    よりよく響く人生とは、住んでいる世界のステージを上げていくことと同じです。

    そのために調律するものは

    意識であり、心であり、体であります。

    そのことが魂へ響き、成長(ステージアップ)につながっていきます。

    どうぞ、調律のために、まずは緩めてまいりましょう。