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  • 何度か言われたことのある、「信仰をもつ必要性」についての話

    「信仰を持つ」ということをお勧めされたことが何度かあります。

    今まで宗教のみならず、様々な心理学というもの、精神医学、量子力学などの科学、東洋医学、西洋医学、哲学、沖縄のユタやノロ、音楽、芸術など様々なものに触れる機会のある人生でしたが、そのせいか、迷ったときに言われてきた、「信仰を持つと良い」この言葉について、すごく難しさを感じています。

    その結果、たどり着いたワタシなりの「信仰」とは、今あるものを結んだ先にあるもので、それはもしかすれば、

    「自分自身」でしかないのかもしれない、と思うわけです。

    それぞれに良い部分や惹かれる部分が存在し、その惹かれたものについても、はたしてそれはそうと言い切れるのか、と心のモヤモヤが消えないものも出てくるわけです。なのでもう人生の半分は生きているであろうワタシですが、信仰の対象が見つからないままでいるわけです。

    果たしてこれは、ワタシが優柔不断だからでしょうか。

    そればかりではなく、「信仰できるものがあれば、それはもっと楽だっただろう」そう思うこともあったわけです。

    大変難しい「信仰」というもの。

    信仰の違いは、価値観の違いにもつながってくると思いますし、またそれぞれの正義というものが、争いを生むことにもなっている今の世の中。

    特定のものを信仰する人間がそのものを知らない他者から見ると、すべて同じ人間に見えている世の中。

    信仰=その者と決めつけられる世の中。

    本来人間とは、唯一無二。グループわけできるものではない、と考えるワタシだからこそ、この本響学というひとつの考え方を残していく運びとなったわけです。

    次回、信仰がないというワタシがこの数年惹かれる「般若心経と本響学」について残してみたいなと考えています。

  • 体の大切さを知る本響学

    体、身体・・・

    体あっての私たち人間です。

    体という個体・物質は、私たち人間にとって重要なものになっています。

    病気になること、五体満足でないことは悪い事ではないことを知っていただきたいのも、本響学を探究していくひとつの理由です。

    響きと言えば、目には見えないもの。

    でも、身体がなければ、感じ取れないものが非常に多いことを知らなければなりません。

    私たち人間には、身体で感じる力がすでに備わっています。その

    人はなぜ音や縁や出来事を、身体で感じることができるのか

    このことについて、探求してまいりました。

    やはり、そこには唯一の正解はないという現実がありました。

    それは、見る角度により、伝え方や扱うものが違うからという問題も存在します。そして、それぞれの人が、何を信じ、何を根拠として生きているのかにも大きく差が生じているわけです。でも探求していく、ということには、様々な角度からの意見を参考にしていくことが必要です。まず受け入れてみるということです。


    科学的な視点

    科学的には、人は音や出来事をまずは脳で処理し、その結果として身体が反応すると考えています。

    例えば、悲しい曲を聴き胸が締め付けられる感覚、緊張を感じるとお腹が痛く感じる感覚、感動すると涙が出る、などです。

    これは、神経系、自律神経、ホルモンの働きによるものと説明されています。

    また、近年では、腸と脳の関係も研究され、

    腸は「第二の脳」とも呼ばれるようになり、腸は感情と深く関わることも分かってきています。

    つまり、科学は、

    身体は心の結果ではなく、心そのものの一部である

    とも言い始めているようです。

    東洋思想の視点

    東洋では、頭より先に身体が真実を知っているという表現をしています。

    「腹(肚)でわかる」という表現をします。

    肚=下丹田は、知識だけでなく、実感

    胸=中丹田は愛や悲しみ

    眉間=上丹田は直感

    それぞれを得る場所。つまり

    身体は魂の言葉(見えない言葉)を翻訳する場所

    と考えているように思います。

    そして、音楽家としての視点もお伝えしてみたいと思います。

    素晴らしいと言われる音楽家の方の話を聞いていると、みなさん内面の管理をきちんとされている方が多いことに気づきます。整えているということ。

    演奏するということは、技術だけでなく、必然的に内面が現れてしまうからです。それは音楽は、言葉になる前のものを伝えるものであるからとも考えられます。

    赤ちゃんで例えると、赤ちゃんは言葉を知らない間から、母親の声に反応していることがあげられますね。

    私たち人間は誰かの声を聞いただけで、安心したり、警戒したり、涙が出ることもあるわけです。

    つまり、音は意味ではなく、存在そのものを運んでいるもの。そのため音楽家は、言葉にならないもの(まだ見えぬもの)を身体で受け取る訓練を長年続けているとも言えます。そのため、霊的に敏感な人が多かったり、感受性が豊かなことで感性として表現しているわけです。

    そしてそこで、ワタシの考えを本響学として表すと

    人は、世界を頭で理解する前に、響きとして受け取っているのではないか

    という仮説でした。

    初めて出会った方にご縁を感じること、それはまず胸が反応する現象。そして後で理由を考える、という行為。

    ある音楽を聴く、先に涙が溢れてくる。そして後から意味が分かる。

    ある場所へ行く、先に身体が緩む。後から「ここが好きだ」と気づく。

    これはワタシの感覚でありますが、もしも他の人にも当てはまるのであれば、

    人間は理性で生きているわけではなく、まずは「共鳴」で生きているのではないか。理性はその後に説明付けているだけかもしれない。

    そして、人はなぜ音や縁や出来事を身体で感じているのか、ということには

    人間が世界と分離した存在ではなく、本来は響き合っている存在だから

    という一つの答えのようなものにたどりついたわけです。

    科学ではそれを「神経系」や「共感」と呼び、

    東洋思想では「気」と呼び、

    宗教やスピリチュアルでは「霊性」と呼び、音楽家は「共鳴」と呼んでいる。

    呼び方が違うだけで、見ている現象は同じだとも思います。

    そしてこれから先、響きはどこから来て、身体はなぜそれを知っているのかに注目していきたいと考えています。

    この「響き」の正体を知る上でも、体は大切な存在です。

    体とは命。命があるから、経験が可能ということ。成長が可能ということ。

    そして、体とは細胞までを含めます。私たちの肉眼で把握できないものも含みます。

    そして、前回も書いた「中身の大切さ」

    これは心、魂はもちろん含みます。そして大切なのは、すべての細胞が健康であることが一番理想とはされますが、健康だとは言えなくても、意識を向けている状態、それは整えようとする意識も含むと思っています。

    そして、「響き」をそのまま受け取り、判断するためにも、体の少し外にも目を向け、環境、家族、住む場所という、自分の身体を超えた「自身を構成する「体」」も大切にしていく方法をお伝えしていけたならと思っています。

    ワタシという存在は、地球レベルでのマトリョーシカの一部分であると考えているわけです。

    響きを受け取るための身体作り

    この変化の激しい世の中で、安心して過ごすために、とても重要となってくることでしょう🍀

  • 本響学における「響き」とは

    「響き」と聞くと、何か発したものが返ってきたときに感じるものであると思います。

    本響学ではこの「響き」という言葉を大切にし、理念の中心においています。

    「響きそのもの」「響くこと」「響かせること」

    ワタシ自身も特に好きな音をもつ言葉です。

    そして本題、ワタシの大切にしている本響学における理念であり、これからも育てていくべきこと。

    人は、自分本来の響きを思いだしたときに、人生が自然と調和し始める

    こちらになります。

    さてその響きについて、説明させていただきたい。


    本響学における「響き」とは

    「響き」とは音ではない。

    言葉でもない。

    感情だけでもない。

    それは、人が生まれながらに持つ「生命の振動」であります。

    私たちは何かを考える前に、感じている。

    見る前に気づくことがある。

    言葉になる前に、身体が知っていることがある。

    本響学では、この「言葉になる前の、生命の反応を「響き」と呼ぶ。」

    「響き」は五感よりも深く、

    直感よりも自然で、

    魂という言葉よりも、日常に存在する。

    人は誰もが、自分だけの響きを持って生まれてくる。

    しかし、生きていく中で

    常識、役割、恐れ、他人の期待、過去の経験などによって

    その響きは少しずつ聞こえにくくなってくる。

    すると人生は「考えて選択する」ことが増え、

    本来の自分から離れていくこととなる。

    本響学は、その「失われた響き」を思い出す学問である。


    響きは共鳴する

    人は一人では「響き」を確認できない。

    人と出会い、自然に触れ、音楽に包まれ、言葉に涙し、静けさに身を置いたとき、

    本来の響きは共鳴を始める。

    だから音楽には力がある。

    占いにも意味がある。

    対話にも価値がある。

    音楽は、プロになるためにあるわけではない。

    占いは、未来を当てるためだけにあるわけではない。

    対話は、人間関係構築のためだけに存在するわけではない。

    すべては、その人自身の響きを思い出すために存在している。


    響きに正解はない

    本響学は、正しい生き方を教えるものではない。

    響きに正解はない。

    一人ひとり違うからこそ、美しい。

    大切なことは、

    他人の音になるわけではなく、自分の響きを生きることである。


    響きは「0」から生まれる

    ワタシは、「0(ゼロ)」という数字に可能性を感じています。

    本響学では、「0」は「無」ではありません。

    すべてが始まる前の静けさであり、

    まだ何者でもない自由であり、

    可能性が閉じ込められた空間である。

    響きは、この静寂から生まれる。

    静けさがあるから、音が響くように、

    余白があるから人生が広がるように・・・

    何もないのではなく、すべてになれる場所。可能性のある場所。

    それが本響学における「0」の世界となります。


    響きはあなたの生きる人生そのものである

    本響学は、音楽を専門に教える学問ではないのです。

    占いを教える学問でもない、

    カウンセリングを通して、依存させる学問でもないのです。

    それらを通して、

    「あなたは本来どんな響きを持って生まれてきたのか」

    自分自身で納得がいくように答えを思い出す学問になるでしょう。

    人生を変える必要はない、

    ただ本来の響きに還るだけでいい。

    他人が何を言おうと、自分が納得すれば、すべての運命は巡り始める。

    そして、その響きは必ず、誰かの心を震わせることとなる。

    人生は「いかに成功すること」が目的ではなく、「いかに響かせること」が目的であることに気づいていただくためのものになる。


    本響学の核となること

    それは

    思い出すこと

    新しい知識を増やすことだけでなく、

    自分の中にすでにあるものを聴き直すこと。

    そのために使うものが

    「音楽」「占い」「カウンセリング」=音楽占心術

    これらは手段です。

    本響学が大切にする「響き」は、他人の評価では測れないもの。

    それは、自分の内側と外側が調和したときに自然と生まれ、

    人との出会いや自然とのつながりの中で共鳴し、

    人生そのものを豊かにしていくもの。

    ワタシ個人の考えとしては、

    〇音楽でプロを育てたいわけではなく、音楽を使わせていただき、一人ひとりが人生の豊かさを取り戻す力を思い出していただきたいこと。

    〇占いは人の気持ちを知るためのものではなく、自分の覚悟を決めるために使わせていただくこと。

    ここにあります。


    今日聴いていただきたい音楽とメッセージ🎵

    この本響学を始めるヒントになりました、一曲をお伝えしてみたいです。

    それは

    「いつも何度でも」覚和歌子作詞/木村弓作曲

    歌詞をつけておきますね♪

    🎵呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも心躍る 夢を見たい

    悲しみは 数えきれないけれど

    その向こうできっと あなたに会える

    繰り返すあやまちの そのたび 人は

    ただ青い空の 青さを知る

    果てしなく道は続いて見えるけれど

    この両手は 光を抱ける

    サヨナラのときの 静かな胸

    ゼロのなる体が 耳をすませる

    生きている不思議 死んでいく不思議

    花も風も街も みんな同じ

    呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも何度でも 夢を描こう

    悲しみの数を 言い尽くすより

    同じくちびるで そっと歌おう

    閉じていく思い出の その中にいつも

    忘れたくない ささやきを聞く

    こなごなに砕かれた 鏡の上にも

    新しい景色が 映される

    はじまりの朝の 静かな窓

    ゼロになるからだ 充たされてゆけ

    海の彼方には もう探さない

    輝くものは いつもここに

    わたしの中に 見つけられたから🎵

    ワタシの解釈

    〇悲しみの向こうで会える「あなた」は「本来の自分」

    〇繰り返す葛藤、後悔、失敗があるから、青い空の「青色」を深く知ることができる。そこに、今ある幸せ、現実(あなた)を見ることが出来る。

    〇「ゼロ」とはリセットではなく、ひとつが完了し、新しく始まること。

    〇生も死も、同じ。

    〇あなたの口は悲観的なことを言うためにあるわけではなく、次に進もうと歌い出すためにある。

    〇「閉じていく~ささやきを聞く」は、変化を恐れている気持ちを表す。

    〇心が粉々に砕かれようとも、また新しいあなたが常に始まりを迎えている。

    〇ゼロになる体が充たされる、それはまた新しいあなたを発見する旅の始まりへの期待。

    〇見えないものを想像で追い求めるのではなく、自分はすでにすべて知っていること、すでに持っていることを知り、自分を認め、自己統合へと向かおう。

  • 人生は調律できる

    調律・・・「ピアノの調律」などの言葉をお聞きになったこともあるかと思います。

    楽器における調律の意味は

    〇楽器の音程を基準音に合わせていく作業

    〇音の高さだけでなく、響きやバランスも整える

    〇楽器の音高を、ある音律に合うように整えること

    そのようなことを言います。

    その楽器ごとにプロにより行われる作業であります。

    また調律が必要な理由ですが、

    ピアノで言えば、よく弾くあたりの音はズレやすいですし、

    また、あまりに弾くことも日々の手入れもされていないようなピアノでさえ

    音律が狂うことは普通にあるわけです。

    そのズレ自体は、日々段々と進んでまいりますので、気づきにくいもの。

    必ず必要となってきます。

    電子楽器には調律が必要な場合はほぼないのでしょうが

    やはり、木材で作られたピアノを含む弦楽器、金管楽器、打楽器など、

    調律は、他の楽器(人)ともセッションともなると、必須です。

    ここで「人生の調律」の話に入っていきますが、

    人間とはすでにご存じの通り、生身です。

    調律やメンテナンスと言ったものは、肉体だけに限らず、心、環境など、多岐にわたって必要なわけです。


    人生の調律のために、緩めること

    楽器の調律の際、まずは弦を緩めた上で、整えていきます。

    だからこそ人間も同じ。

    体を緩める

    心を緩める

    思考を緩める

    これが、人生の調律にとって必要となってきます

    「ゆるむ」ということ。

    緩めるために、環境や時間にも余裕が必要です。

    中々難しい方も多いと思います。でも緩むことがどれだけ大切なことか、記してみます。

    こだわりすぎているとき・・・それは思考が偏っています。

    好き嫌いが強くなっているとき・・・心が固まってきています

    緩んでいる状態とは、

    たとえ好き嫌いがあったとしても、他人に強要しませんし、

    たとえ他人が自分の思うように動いてくれなくても、同じ考えでなくても、

    「そういうこともあるよね」そう思えたりするものです。

    コントロールをしようとは思わないものです。

    たとえば、自分の運勢について占ったとします。その結果が、まったく当たらないとき、つまり「誰ですか?これは・・・」そのような結果を与えられた場合の反応が、緩んでいる方とそうでない方では大きく差が出ます。

    当たらなかった、もう聞かない、しない

    と捉えるのか、それとも

    そんな可能性もあるんだ、新しい発見や経験ができるかもね

    と捉えるか、のような差が生まれてきます。

    本響学の中で求めていきたいものが、後者のものとなっていきます。

    すべては答えでなく、ヒントである、その目線が必要になるからでもあります。

    それは、自分に対しても、他人に対しても緩んでいる状態。

    それは許しであり、赦しであり、緩しである状態。

    この状態をまず作り、人生の調律へ入っていきます。

    調律とは、よりよく響くためにするものであります。

    それは人生でも同じ。

    よりよく響く人生とは、住んでいる世界のステージを上げていくことと同じです。

    そのために調律するものは

    意識であり、心であり、体であります。

    そのことが魂へ響き、成長(ステージアップ)につながっていきます。

    どうぞ、調律のために、まずは緩めてまいりましょう。