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  • 体の大切さを知る本響学

    体、身体・・・

    体あっての私たち人間です。

    体という個体・物質は、私たち人間にとって重要なものになっています。

    病気になること、五体満足でないことは悪い事ではないことを知っていただきたいのも、本響学を探究していくひとつの理由です。

    響きと言えば、目には見えないもの。

    でも、身体がなければ、感じ取れないものが非常に多いことを知らなければなりません。

    私たち人間には、身体で感じる力がすでに備わっています。その

    人はなぜ音や縁や出来事を、身体で感じることができるのか

    このことについて、探求してまいりました。

    やはり、そこには唯一の正解はないという現実がありました。

    それは、見る角度により、伝え方や扱うものが違うからという問題も存在します。そして、それぞれの人が、何を信じ、何を根拠として生きているのかにも大きく差が生じているわけです。でも探求していく、ということには、様々な角度からの意見を参考にしていくことが必要です。まず受け入れてみるということです。


    科学的な視点

    科学的には、人は音や出来事をまずは脳で処理し、その結果として身体が反応すると考えています。

    例えば、悲しい曲を聴き胸が締め付けられる感覚、緊張を感じるとお腹が痛く感じる感覚、感動すると涙が出る、などです。

    これは、神経系、自律神経、ホルモンの働きによるものと説明されています。

    また、近年では、腸と脳の関係も研究され、

    腸は「第二の脳」とも呼ばれるようになり、腸は感情と深く関わることも分かってきています。

    つまり、科学は、

    身体は心の結果ではなく、心そのものの一部である

    とも言い始めているようです。

    東洋思想の視点

    東洋では、頭より先に身体が真実を知っているという表現をしています。

    「腹(肚)でわかる」という表現をします。

    肚=下丹田は、知識だけでなく、実感

    胸=中丹田は愛や悲しみ

    眉間=上丹田は直感

    それぞれを得る場所。つまり

    身体は魂の言葉(見えない言葉)を翻訳する場所

    と考えているように思います。

    そして、音楽家としての視点もお伝えしてみたいと思います。

    素晴らしいと言われる音楽家の方の話を聞いていると、みなさん内面の管理をきちんとされている方が多いことに気づきます。整えているということ。

    演奏するということは、技術だけでなく、必然的に内面が現れてしまうからです。それは音楽は、言葉になる前のものを伝えるものであるからとも考えられます。

    赤ちゃんで例えると、赤ちゃんは言葉を知らない間から、母親の声に反応していることがあげられますね。

    私たち人間は誰かの声を聞いただけで、安心したり、警戒したり、涙が出ることもあるわけです。

    つまり、音は意味ではなく、存在そのものを運んでいるもの。そのため音楽家は、言葉にならないもの(まだ見えぬもの)を身体で受け取る訓練を長年続けているとも言えます。そのため、霊的に敏感な人が多かったり、感受性が豊かなことで感性として表現しているわけです。

    そしてそこで、ワタシの考えを本響学として表すと

    人は、世界を頭で理解する前に、響きとして受け取っているのではないか

    という仮説でした。

    初めて出会った方にご縁を感じること、それはまず胸が反応する現象。そして後で理由を考える、という行為。

    ある音楽を聴く、先に涙が溢れてくる。そして後から意味が分かる。

    ある場所へ行く、先に身体が緩む。後から「ここが好きだ」と気づく。

    これはワタシの感覚でありますが、もしも他の人にも当てはまるのであれば、

    人間は理性で生きているわけではなく、まずは「共鳴」で生きているのではないか。理性はその後に説明付けているだけかもしれない。

    そして、人はなぜ音や縁や出来事を身体で感じているのか、ということには

    人間が世界と分離した存在ではなく、本来は響き合っている存在だから

    という一つの答えのようなものにたどりついたわけです。

    科学ではそれを「神経系」や「共感」と呼び、

    東洋思想では「気」と呼び、

    宗教やスピリチュアルでは「霊性」と呼び、音楽家は「共鳴」と呼んでいる。

    呼び方が違うだけで、見ている現象は同じだとも思います。

    そしてこれから先、響きはどこから来て、身体はなぜそれを知っているのかに注目していきたいと考えています。

    この「響き」の正体を知る上でも、体は大切な存在です。

    体とは命。命があるから、経験が可能ということ。成長が可能ということ。

    そして、体とは細胞までを含めます。私たちの肉眼で把握できないものも含みます。

    そして、前回も書いた「中身の大切さ」

    これは心、魂はもちろん含みます。そして大切なのは、すべての細胞が健康であることが一番理想とはされますが、健康だとは言えなくても、意識を向けている状態、それは整えようとする意識も含むと思っています。

    そして、「響き」をそのまま受け取り、判断するためにも、体の少し外にも目を向け、環境、家族、住む場所という、自分の身体を超えた「自身を構成する「体」」も大切にしていく方法をお伝えしていけたならと思っています。

    ワタシという存在は、地球レベルでのマトリョーシカの一部分であると考えているわけです。

    響きを受け取るための身体作り

    この変化の激しい世の中で、安心して過ごすために、とても重要となってくることでしょう🍀

  • なぜ本来の自分を生きていないのかに注目する

    人は出来事だけでは生きていることを体感できない。

    感覚と出来事が結びつき、自分なりの意味を見出した時に「私はここに生きている」という実感が生まれる。

    本響学とはその「響き」と「意味」が結ばれる瞬間を探究する学びとなる。

    これが今感じているワタシの考えをまとめたものです。

    また、こちらは共感いただける方にコメントもいただけることができればと思っています。共に作っていただける方を募集している学びでもあります。もしよろしければ皆様の体験や思うことも教えていただければ幸いです。

    ワタシの経験上では、本来の自分という可能性の中に居ないときに、物事が上手く運ばなくなるような体験をしてきました。

    さらに、ご相談いただいた方に向けた鑑定結果をお伝えする中で、共に考え、ご自身で進む方向性を決断いただいたときに、次々とチャンスが訪れたことも見てきました。

    それは、占いの結果をそのまま信じたわけではなく、様々な可能性の中から今のご自身に響いたものを、ご自身で選択した結果であると思います。

    もちろん中には「言われたことを意識したら、周りの見え方が変わった」との意見もいただきましたが、それは、ご自身が動かれた結果であり、ワタシの力でも鑑定の正確さでもないとワタシは毎度感じております。

    結局、元々転換期であったり、「変わりたい、変えたい」と思われる方に興味を持っていただいた結果なのですね。

    人は、出会うべきタイミングで、出会うべき人と会っているわけです。

    それは、長く続く縁だけではありません。

    ご縁の長さで、出会いについて良い悪いを判断できないからですね。

    スピリチュアルの世界で重要とされているような関係性、それはソウルメイトなどと言われる肩書きを求めることには本来何も意味はなく、最終的に、「みなソウルメイトだった」そう思えるくらい、「愛の人」へと進化していただくためだけにあると感じています。

    人は、いつも最高の自分の状態である、それを求めがちです。それは「自分は自分であることが完璧で素晴らしい」その言葉と勘違いしている状態だとも取れます。

    人は常に進化する、変化していくモノであると同時に、それを求められています。学びの中にある今はこれが最終形態、明日はまた最高に近づく、という謙虚さが必要でもあります。

    ここで「モノ」と表現したことにも意味があります。

    目に見えているワタシたち人間は、私たちが「物」として見えているものとなんら変わりないものであるわけです。それは優劣がないということ。

    見えているものはすべて敬い、大切にされるべきであり、大切にするもの。姿形、値段などでは、モノの価値は測れないというのが、ワタシに伝わるいわゆる神々という存在からの言葉であります。

    中身が大切、それは人間だけでなく物も同じ。そこを観られているわけです。


    さて、人はなぜ、本来の自分から離れてしまうのでしょうか。

    それは仕方のないこと。

    もしそれを悩まれている方がいるのであれば、まったくもって心配ありません。あなたのせいではないことに気づいてください。気づいたときから、あなたの人生が変化を始めるわけです。これもタイミングだったのでしょう。

    集団教育の中で育ち、持って生まれた個性だけでは、世の中で通用しないことを学びます。自分以外の価値観に触れるということ。

    子供は、生きていくために、保護者と言われる者の支配下に置かされます。「子供は未熟であり、守るべき存在である。」という考えが歪み、本当に支配されてしまう子供もいます。

    自分の叶えたかったもの、夢を、子供に託す保護者。

    子供の特性を観察することもなく、早期教育を与える、それが正義だと思っている。才能や方向性、性格を観ることもなく、見抜くことも出来ない大人たち。

    これは大人を責めているわけではなく、事実であります。現実であります。

    ただ、段々と子供たちは気づき始めます。「生きていく(安心して過ごす)ためには、保護者の求める姿になるほかない」と。

    すべての子供たちに当てはまるわけではありません。

    精神性の高い、観察力にもすぐれた大人も多くいるとも思います。ただ、大人だってずっと学びは終わらないわけですから、完璧ではないのです。

    ここまで、まるで「保護者や育った環境のせい」だと書いているようですが、子供だっていつまでも子供でいてよいはずはありません。

    子供自身も内省し、現実を受け入れながら、「自分はどうしたいのか」と自分で考え行動する「自立」と、自分をコントロールする「自律」が必要となってきます。それは必ずしも、すべての大人が教えられるものではないことも知る必要があります。自分で気づく必要があります。それは今の自分との対話の必要性に気づくこと、本来人間にはその力は持ち合わせています。すべては気づく必要があるということなのです。


    何か不自由が起こったり、理不尽なことに直面したときに、逃げる道を選ばず、その理由や原因、事実や事情を考えていくことをお勧めいたしております。

    〇事実…何が起きたのか(現象)

    〇原因…なぜ起きたのか(仕組み、要因)

    〇事情…どのような背景があったのか(環境、経緯)

    〇理由…その出来事や選択にどんな意味や意図があるのか(人の内面、価値観)

    どうしても、理由を知りたい私たち人間ですが、理由自体は、見る角度(誰を主軸に見るか)によって変わるものであります。

    事実と向き合い、原因を追究し、事情も考えながら、自分なりの理由を見出す

    この必要性があります。

    なんともこざかしいと感じる人もいるかもしれませんが、これは問題からの逃げ癖回避の方法です。

    自分の出した答えである理由は、一つしかない、それが正義だと思うことから変化させ、もう少し謙虚さも必要だとも思います。

    好きなことをして、イキイキしている方はもう気づいています。

    人生、面倒なことの方が多い。そして、好きなことをするために現実から逃げない必要があること。目の前のことをコツコツこなすことでしか、成功が見えてこないこと。

    他人が抱えている苦労は、自分にすべて見えていないという可能性も知る必要があります。


    なぜ、本来の自分を生きていないのかと考えてみると分かってくることがあると思います。

    自分から逃げていること。

    現実と向き合う力が弱いこと。

    自立(自分の足でしっかり立てること)できていないこと。

    それは誰かのせいにしている可能性。

    自分のことはすべて理解できているという傲慢さ。

    私たちは、一人で生きているわけではありません。

    でも、他の誰かのための自分になることが必要なわけではありません。

    意外と、自分以外のことを考えていたり見ている時間が多いことにも気づかなければなりません。

    本来の自分を生きている人は、意外と自分のすべきことで忙しいわけです。友人のことを考えることがあっても、相手の気持ちに共感してあげたいな、理解したいな、そのくらいです。もしかすると、恋愛からも遠ざかる生活になってしまうかもしれません。

    そのような状態でも、心優しく、気遣いができる人はいるわけです。

    まずは自立と自律を目指すこと

    意識してみていただければ幸いです🍀

  • 流れの中に人は美しさを観る

    人は流れの中で生きています。

    運命という流れ、時の流れ、空間にも流れは存在している。

    川の流れに心は浄化を見、

    海の流れに穏やかさを感じ心を満たされ、

    息(呼吸)かて意識しなくとも穏やかな流れの中にある時に

    心の平穏を体験することとなる。

    ピアノの指導をする中で、ある程度のレベルに達すると、「音楽を作る」という意識を持たせたレッスンを行います。

    「音楽を作る」という作業において、ワタシは「呼吸、息の流れ」を重要視しています。

    難曲になるにつれ、音を読むこと、間違えないこと、指使い、腕の使い方、身体の使い方にも注意がいきはじめ、どうしても呼吸が止まった弾き方をすることが増えます。練習の段階では仕方のないことですが、同じ場所で何度もつまずき、苦戦する生徒さんに向け伝えることは、

    「息してー!!」なのですね。

    息を流して、呼吸を忘れないように、それを伝えます。

    すると、大抵みな、笑顔になり、笑ってくれるのです。

    その後、深呼吸を行い、「次はワタシが隣で歌うから、一緒に演奏しよう」そのように持っていきます。

    すると、1音のミスを気にすることなく、音楽を感じ、ワタシの歌に合わせるかのように、笑顔で弾き続けてくれるのです。中には、つまずくばかりの場所をあっさりと弾きこなす人も。

    音のミスはないことにこしたことはありませんが、「音楽を作る」作業において、楽譜という2次元のものを、聞こえる状態にする3次元を超え、空間や時間を含む、立体的でもあり4次元以上の心地よいものにしていくことを目的としています。

    それはプロを育てることを目標としていない、ワタシだからこそ出来る、まずは「音楽を作る、流れを知り、見る、豊かな音楽は流れの中に存在する」ことを体験していただく機会となっています。

    元々音楽を教えたいと思った理由が

    「音楽をもっと身近に、大勢に聴かせるための音楽ではなく、大切な誰かのために気持ちを伝える手段としても使える楽器、音楽と触れ合ってほしい」でした。そのため、ワタシのせいで音楽を嫌いになってほしくない、そのような想いが大きい時期もあり不安もありました。ですが、他所の教室からの転入してきた生徒さんから、お試しレッスン後に「楽しかった」そう笑顔で感想をいただけたことが、ワタシの自信につながったことを覚えています。

    そして、その生徒さん自体は、耳が良いため、楽譜を見ることなく、スマートに弾いてくださった初めのレッスンもよく覚えています。今では、「楽譜は宝」と言わんばかりに、しっかり確認しながら弾くことができています。楽譜の意味が分かると、すごくうれしかったりもするのですよ。

    難しいのです、自己表現のための音楽をすることを目的にしながらも、楽譜に忠実に、も教える必要がある。音楽とは本当に奥が深いものなのです。

    そして、楽譜には、実は「呼吸の流れ、言葉(フレーズ)という流れ」のヒントも沢山あるわけです。それは作曲者の伝えたいこと。

    奏者自身の伝えたいこともあるかもしれませんが、作曲者の想いを無視するわけにもいかないわけです。でもそれは、「流れ」を意識することで、近づくことができると思っています。

    メロディーだけでなく、伴奏部分にも必ず意図や流れがあります。

    さらに奏者がその流れを理解し、そこに自らの呼吸の流れを吹き込むことにより、音楽が生きたものとなってくるように感じます。

    中でも「歌」はそれがよく現れるものに感じます。

    体という楽器を使い、息を流し、声帯を鳴らし活かし、身体で調整しながら発するものでありますから、ワタシのように変に感度の高い者が聴くと、生(生きた音楽)を感じるかどうかは一目瞭然。流れがないと(息の流れのない音だけで大きさだけで勝負の演奏をされると)ワタシ自身も苦しくなってくるほどです。

    このあと、ワタシが1番大切にしている、呼吸(歌うとき、話すとき)の仕方について書いていきたいと思っています。

    ただ、その前にどうしても「流れ」について知ってもらいたいなと思ったので、今日は語らせていただきました。

    流れにのれば、すべてうまく行くのかもしれない

    これが、ワタシがblogの中で大切に伝え続けたいことなのかな、とも感じ始めたわけです。

    ご参考になれば幸いです🍀

  • 自分の活かし方・命の使い方を考える本響学

    今人間として生きている私たち。人間だから出来ることを考える。

    その活かし方について、自分で答えを見つけていくことを目的にしているのが、本響学であります。

    活かす方法を見つけるヒントをお伝えしていきたいとの想いで生まれたのが、音楽占心術。

    そして、それを支えるのが、人生調律師、響導師という者。

    「音楽」とつく以上、音楽は関係してきます。

    ただ、音楽を演奏することに得意不得意は関係なく、音楽を使わせていただいているものとなります。これから音楽をやってみたい、そのような方には特にお勧めさせていただけます。

    こちらは、ワタシ自身の経験を元にしておりますので、一般的にいう、世の中で証明されたものではないものかもしれませんが、

    ワタシが体験し、20年に渡る音楽を指導する立場から得た情報をまとめた結果、それらから導きだした、カリキュラム。

    そして、「響き」という目には見えないものを説明するひとつの手段として、占術を用いる、ということになります。

    ワタシ自身、本当の意味で音楽の素晴らしさ、影響力を知ったのはこの10年ほどのこと。

    そして、今はHSPなどとも言われる、感受性の強い方たちが、自身の感受性について気づき始めたこの時代だからこそ、始められる学びかもしれません。

    世の中の変化、今の子供たちを見ていると、育ち云々よりも、持って生まれたものが、一昔前とは違っていることに気づいていました。

    それは時代のせいでも時代のおかげでもなく、明らかに、持っているものが私たち大人とは別物。

    「昔はよかった」「昔はこうだった」と語る前に、今は今でしかありませんから、大人が今に合わせるしかないのです。

    思い出を美化しすぎてしまう、人間の愚かさ、それにも気づいたことがこの本響学を探究するきっかけとなったことには、感謝しかありません。

    「何も間違えはなく、正解もない」とも言われるこの時代。

    その意味を正しく知るためでもあります。それは

    「なんでも許されるわけではない」「なんでもいいわけではない」「好きなことだけをして生きればよいわけではない」のです。

    それをしても許される者がいるとすれば、自分を大切にしている人間。

    それは大切にする=甘やかすわけではないこと。

    過剰に心配しすぎたり、守ることに徹することでもない。

    自分を大切にするとは、自分を理解している人ができることでもあるわけです。

    自由と我儘が同じと考える世の中にもなっています。

    それは沖縄弁でよく皆さんも聞かれる「なんくるないさ」

    その言葉の認知具合にも現れています。

    元々「なんくるないさ」の前に「まくとぅーそーけー」という言葉があっての「なんくるないさ」なのです。

    誠の心で真っすぐに生きていれば、自然とどうにかなっていく(うまくいく)さ

    本来は、これですよね。

    自分に都合の良いもの、良いところだけを切り取って、それを生きる糧、生き方とされている人が多く見えるわけです。

    全体を把握できない者に、今を見ることが出来ないように、

    「今を生きる」ことさえも、全体の中の今であるわけですから、

    もっともっと賢くなる必要さえもあるわけです。

    感受性の強い者が、気づき始めているという現実。

    それは、私たちが生きていくためには、それぞれ感受性を呼び起こす必要があるということ。

    感受性を呼び起こし、感性として表現することができるようヒントを与えられる本響学になっていくことを目標としております。

    重い話ではなく、あくまでヒント。

    深刻になりすぎず、気づきのための一つの資料になれたなら幸いです。

    次はそろそろ、学びに入っていくことができればいいなと思っております🍀

  • 本響学における「響き」とは

    「響き」と聞くと、何か発したものが返ってきたときに感じるものであると思います。

    本響学ではこの「響き」という言葉を大切にし、理念の中心においています。

    「響きそのもの」「響くこと」「響かせること」

    ワタシ自身も特に好きな音をもつ言葉です。

    そして本題、ワタシの大切にしている本響学における理念であり、これからも育てていくべきこと。

    人は、自分本来の響きを思いだしたときに、人生が自然と調和し始める

    こちらになります。

    さてその響きについて、説明させていただきたい。


    本響学における「響き」とは

    「響き」とは音ではない。

    言葉でもない。

    感情だけでもない。

    それは、人が生まれながらに持つ「生命の振動」であります。

    私たちは何かを考える前に、感じている。

    見る前に気づくことがある。

    言葉になる前に、身体が知っていることがある。

    本響学では、この「言葉になる前の、生命の反応を「響き」と呼ぶ。」

    「響き」は五感よりも深く、

    直感よりも自然で、

    魂という言葉よりも、日常に存在する。

    人は誰もが、自分だけの響きを持って生まれてくる。

    しかし、生きていく中で

    常識、役割、恐れ、他人の期待、過去の経験などによって

    その響きは少しずつ聞こえにくくなってくる。

    すると人生は「考えて選択する」ことが増え、

    本来の自分から離れていくこととなる。

    本響学は、その「失われた響き」を思い出す学問である。


    響きは共鳴する

    人は一人では「響き」を確認できない。

    人と出会い、自然に触れ、音楽に包まれ、言葉に涙し、静けさに身を置いたとき、

    本来の響きは共鳴を始める。

    だから音楽には力がある。

    占いにも意味がある。

    対話にも価値がある。

    音楽は、プロになるためにあるわけではない。

    占いは、未来を当てるためだけにあるわけではない。

    対話は、人間関係構築のためだけに存在するわけではない。

    すべては、その人自身の響きを思い出すために存在している。


    響きに正解はない

    本響学は、正しい生き方を教えるものではない。

    響きに正解はない。

    一人ひとり違うからこそ、美しい。

    大切なことは、

    他人の音になるわけではなく、自分の響きを生きることである。


    響きは「0」から生まれる

    ワタシは、「0(ゼロ)」という数字に可能性を感じています。

    本響学では、「0」は「無」ではありません。

    すべてが始まる前の静けさであり、

    まだ何者でもない自由であり、

    可能性が閉じ込められた空間である。

    響きは、この静寂から生まれる。

    静けさがあるから、音が響くように、

    余白があるから人生が広がるように・・・

    何もないのではなく、すべてになれる場所。可能性のある場所。

    それが本響学における「0」の世界となります。


    響きはあなたの生きる人生そのものである

    本響学は、音楽を専門に教える学問ではないのです。

    占いを教える学問でもない、

    カウンセリングを通して、依存させる学問でもないのです。

    それらを通して、

    「あなたは本来どんな響きを持って生まれてきたのか」

    自分自身で納得がいくように答えを思い出す学問になるでしょう。

    人生を変える必要はない、

    ただ本来の響きに還るだけでいい。

    他人が何を言おうと、自分が納得すれば、すべての運命は巡り始める。

    そして、その響きは必ず、誰かの心を震わせることとなる。

    人生は「いかに成功すること」が目的ではなく、「いかに響かせること」が目的であることに気づいていただくためのものになる。


    本響学の核となること

    それは

    思い出すこと

    新しい知識を増やすことだけでなく、

    自分の中にすでにあるものを聴き直すこと。

    そのために使うものが

    「音楽」「占い」「カウンセリング」=音楽占心術

    これらは手段です。

    本響学が大切にする「響き」は、他人の評価では測れないもの。

    それは、自分の内側と外側が調和したときに自然と生まれ、

    人との出会いや自然とのつながりの中で共鳴し、

    人生そのものを豊かにしていくもの。

    ワタシ個人の考えとしては、

    〇音楽でプロを育てたいわけではなく、音楽を使わせていただき、一人ひとりが人生の豊かさを取り戻す力を思い出していただきたいこと。

    〇占いは人の気持ちを知るためのものではなく、自分の覚悟を決めるために使わせていただくこと。

    ここにあります。


    今日聴いていただきたい音楽とメッセージ🎵

    この本響学を始めるヒントになりました、一曲をお伝えしてみたいです。

    それは

    「いつも何度でも」覚和歌子作詞/木村弓作曲

    歌詞をつけておきますね♪

    🎵呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも心躍る 夢を見たい

    悲しみは 数えきれないけれど

    その向こうできっと あなたに会える

    繰り返すあやまちの そのたび 人は

    ただ青い空の 青さを知る

    果てしなく道は続いて見えるけれど

    この両手は 光を抱ける

    サヨナラのときの 静かな胸

    ゼロのなる体が 耳をすませる

    生きている不思議 死んでいく不思議

    花も風も街も みんな同じ

    呼んでいる 胸のどこか奥で

    いつも何度でも 夢を描こう

    悲しみの数を 言い尽くすより

    同じくちびるで そっと歌おう

    閉じていく思い出の その中にいつも

    忘れたくない ささやきを聞く

    こなごなに砕かれた 鏡の上にも

    新しい景色が 映される

    はじまりの朝の 静かな窓

    ゼロになるからだ 充たされてゆけ

    海の彼方には もう探さない

    輝くものは いつもここに

    わたしの中に 見つけられたから🎵

    ワタシの解釈

    〇悲しみの向こうで会える「あなた」は「本来の自分」

    〇繰り返す葛藤、後悔、失敗があるから、青い空の「青色」を深く知ることができる。そこに、今ある幸せ、現実(あなた)を見ることが出来る。

    〇「ゼロ」とはリセットではなく、ひとつが完了し、新しく始まること。

    〇生も死も、同じ。

    〇あなたの口は悲観的なことを言うためにあるわけではなく、次に進もうと歌い出すためにある。

    〇「閉じていく~ささやきを聞く」は、変化を恐れている気持ちを表す。

    〇心が粉々に砕かれようとも、また新しいあなたが常に始まりを迎えている。

    〇ゼロになる体が充たされる、それはまた新しいあなたを発見する旅の始まりへの期待。

    〇見えないものを想像で追い求めるのではなく、自分はすでにすべて知っていること、すでに持っていることを知り、自分を認め、自己統合へと向かおう。

  • 本響学とは

    これから始まる「本響学」について、元となったものをまとめてみた。

    本響学(ほんきょうがく)とは、人の本来の響きを聴き、その人自身が自らの人生を調律していくための学びである。

    私たちは普段、言葉や思考によって自分や他者を理解しようとする。しかし実際には、言葉になるより前に身体は何かを感じ取り、心はすでに反応している。

    「なんとなく気になる」「理由はわからないが惹かれる」「違和感がある」「この道だと感じる」

    こうした感覚は単なる思いつきではない。

    人間には五感で得た情報が意識に上がる以前に、身体全体で世界を感じ取る力が備わっている。

    本響学では、この感覚を大切にしていく。

    響きは言葉よりも先に存在する

    赤ちゃんは言葉を知らなくても母親の声に安心する。

    音楽は意味や内容や作られた背景が分からなくても涙を誘う。

    人は理屈より先に、響きによって世界とつながっている。

    響きとは、音だけを言うものではない。

    「声の調子」「呼吸のリズム」「心の動き」「身体の感覚」「その人が放つ雰囲気や在り方」

    それらすべてが「響き」である。

    本響学はこの「響き」を読み解き、本来の自分とのつながりを回復するための学問である。

    占いは未来を当てるためのものではない

    本響学において占いは未来予測の技術ではない。

    占いとは

    今の自分の響きを映し出し、自らの覚悟を確認するための鏡である。

    未来は決まっているものではなく、選択により変化する。

    そのため本響学では

    「どうなるか」よりも「どう在りたいか」を大切にするために用いることとする。

    それは可能性を知ること。

    本響学の中での可能性とは、一つを断定することではなく、あくまで選択し、方向性を決めていくためにある情報として扱う。

    音楽は本来の自分へ還る道である

    本響学においての音楽との向き合い方について記す。

    音楽を学ぶということは、上手くなるためだけのものではない。

    音楽は、自分自身の響きを思い出すための道具として扱わせていただく。

    「歌うこと」「聴くこと」「奏でること」

    その体験を通して、人は自分の心や身体と再びつながることができる。

    本響学における音楽は、技術習得のためではなく、自己回復や自己理解のための営みである。

    カウンセリングは響きを共に聴くこと

    本響学における対話は、問題を解決するためだけのものではない。

    相手の言葉を分析するのではなく、その奥にある響きを共に聴く。

    「言葉にならない想い」「本人も気づいていない願い」「身体が知っている真実」

    それらに耳を澄ませていくことで、その人自身が答えを見つけていく。

    そのため、本響学におけるカウンセリングとは

    悩み、迷い、苦しみの中にある人のためだけに存在するわけではなく、

    「よりよく生きたいと思う方」「新しい自分と出会いたいと思う方」「今の自分に違和感を感じるような方」

    そのような人にも触れていただきたいものである。

    本響学の目的

    本響学の目的とは、人を変えることではない。

    本来の「響き」を思い出すことである。

    誰もが生まれながらに持っている固有の響きがある。

    それを知り、意識することで、可能性は無限に存在することを体感していただくためにある。

    人生の中で傷つき、迷い、他者に合わせるうちに

    その響きは聞こえにくくなる。しかし、消えることはない。

    今どのような状態にあろうとも、否定に値する状態ではないことを理解していただく。

    可能性に気づくために「今この状態」である必要があっただけ。

    本響学は、

    占術によって心を映し出し、

    対話によって気づきを深め、

    音楽によって響きを整え、

    その人が自分自身の人生を生きる力を取り戻すことを目指しています。

    つまり、

    本響学とは、

    言葉になる前の響きに耳を澄まし、本来の自分と再び出会うための学びである。

  • ~本響学を追い求めていく

    何かを追い求めていく時には多かれ少なかれ

    何か理由があるわけです。

    まずはその部分から順にblogにて発信していくことが出来ればと思っています。

    私が今の時点で名付けた「本響学」

    こちらの理念をお伝えしてみたいと思います。

    人が本来持つ響きを思い出し、自らで調律しながら、自分自身の人生を奏でるための学び

    こちらになっております。

    「響き」というと、楽器や声、音楽を想像するかと思います。

    この理念の中にある響きとは、声だけに限らず、エネルギーをも含みます。

    それは想いでもあり言葉でもある、生命力でもあり、感情・思考・可能性に至るまで、人を作るすべての要素を含みます。

    それにはそれぞれの観念も含まれるでしょう。

    人はみな個体としては同じものは存在してはいませんが、それでもユングが提唱しました「集合的無意識」では繋がっている。私はこのことを身を持って感じる出来事が多かったことから、この本響学を始めることとなりました。

    本響学は私の探求し続けている分野であり、これから益々深めていくこととなります。こうしてblogを書きながら続いていく分野。

    そして本響学の探求と共に「人生調律師」としての活動を始めます。

    さらに「響導師」これは響きによって導く者を表します。これは音楽を使っての活動になっていくものです。

    先に述べた「人生調律師」とは、音楽だけでなく、人生について触れていくものとします。

    「貴方の体は今、何に響いているのか」それを読み解くものとして、私自身の経験や知識だけでなく、古人のお言葉から得た学び、占術をも用いてまいります。

    音楽で例えるのであれば、私にとっては占術は「チューナー」であります。

    音楽(人生)はそのあとで作ってまいります。

    占術は私にとって、

    「今の状況はどこがズレているために不具合が起こっているのか」

    「どこに強みがあるのか(可能性)」を教えてくれるものでありましたし、

    占術そのものを使い仕事もしておりますので、安心して身を任せていただければ幸いです。

    本響学のゴールとは「じりつ」です。自律し自立していただく力をつけること。

    様々な角度からの情報の提供が出来ることとなるでしょう。

    どうぞ宜しくお願い致します。

    理響 拝