境界に立つ人たちと共に
ワタシが体験してきたもの、ワタシの居る場所は、まさに「境界に立つ者」としての立場であります。
振り返れば、生まれたその時から、このことをやってきたのではと気づいたわけであります。
母と祖父との関係は、ワタシが生まれたことにより再びつながり、
数組の友人知人たちを結び、出会い、結婚へと進んだ事実、
天職につく者が他人からの影響によりそれを諦めかけたところからの復活、
バラバラだった家族の最後の再会や本音を伝えるための後押し、
死者・ご先祖からのメッセージを伝えることにより、人生の進展。。。
色々と不思議な経験もしてまいりましたが、それら全てが今、伏線となり回収されつつあるわけです。
そして、同じような立場にいる方々をお支えでるかもという気持ちもあり、ブログを発信するわけです。
感受性が強い、他人との距離を無意識に取ってしまう、そこに生き辛さを感じているとすれば、「境界に立つ人」の可能性も高くなってきます。
ではその「境界に立つ人」について説明してみたいと思います。
境界とは
ここで言う境界とは、まさに、どっちつかずの場所です。
どちらか選べないのではなく、どちらでもない場所。
それを私は、「境界に立つ人」と言い、または「間(あわい)にいる人」と言います。
イメージで言いますと、「役小角(えんのおずぬ)・聞得大君」であり、または、イタコ・ユタ・八咫烏・龍神など。
かなりスピリチュアルに偏るイメージですが、左右・陰陽の世界の間に立ち、媒介する者、媒介者。また、境界とは、二つを分けるものではなく、つなぐものであることを知る者を指します。
そして本響学とは、そのような方々が自分自身の感覚を取り戻し、自分と世界との本来の関係に戻っていくヒントを与える場にしていく予定であります。
さらに、人間と目に見えないものの間にある境界には何があるのか、それをこれからの時間をかけて、可能性を探っていくものとなるでしょう。
媒介者の役割
媒介者とはつなげる者。
さて何をつないでいくのでしょうか。
①人と本来の自分=自分自身の中にある答えを、自分で感じられるようにする
②人と人=人と人の間に立つ人(家族・親子・夫婦・師と弟子・世代・理性の強い人とと感覚的な人など)
③感覚と言葉=感じ取れない人に感じる入口を渡し、感じ取れるけれど言葉にできない人に言葉を渡す
④理性と感性=たとえば、人間の感性とAIの知性など
⑤現実と心の世界=スピリチュアルな意味だけで現実は変わらないため、選択し、具体的な行動へと導く
⑥過去と現在=現在だけを見ない。先祖・伝統・土地・神話・記憶
⑦生者と喪失=喪失したものと、今を生きる自分
⑧自然と日常=特別な場所でしか感じられないものを、日常へ持ち帰る
⑨神聖と生活=「感じること」を現実の人生に役立つところまで降ろす
⑩異なる文化や宗教をつなぐ=それぞれの文化は、人間の感じる力をどう扱ってきたのか研究する
⑪人間と自然だけではないもの=人間は自然の一部であることを思い出す
⑫現在の自分と本来の自分=余計なものを少しずつ外して、元々自分の中にあった感覚を取り戻す
⑬見える世界と見えない世界=人間が言葉にできない感覚・直感・夢・象徴・祈り・物語を含めた見えない領域
13については、非常に繊細なものでもあります。「これは事実なのか」「これは象徴なのか」「これは自分の心から出てきたものなのか」を区別できることが重要です。
⑭身体と意識
14については、現代人が忘れがちな境界です。本来、皆ができること。身体そのものを使い、意識・行動を変えることを指します。私たちは「頭で考える自分」を自分自身だと思いがちです。でも、身体が感じていることもあるわけです。思考ではなく、感覚。身体を使うこと、身体に注意を向けることや大切にすること。これが「感じる力」の回復に直結してきます。
結局のところ、媒介者の役割とは、二つの世界や物事を良い悪いの判断なく、つなげることであります。分断されてしまったものを、もう一度感じられる状態へ戻すような役割なのです。
役小角が象徴するのは、超越する力。聞得大君が象徴するのは、媒介する力。イタコが象徴するのは、記憶をつなぐ力。ユタが象徴するのは、問いに意味を与える力。それらの者からヒントをいただいた本響学の目指す場所は「自分自身の感覚に戻るための橋を架ける力」を呼び起こすことと考えています。
媒介者の仕事としましては、5つ見えてきました。
①聴くこと:人の声、自然、祈り、問い、兆し
②感じること:普通なら見過ごしてしまうものを受け取る
③翻訳する:そのままでは理解できないものを、言葉・儀礼・象徴に変える
④返す:本人や共同体が受け取れる形で返す
⑤整える:最終的に人が日常に戻れる状態にすること
そして媒介者を育てていく本響学
ワタシ自身が信頼するユタと共に乗り越えてきたわけですが、ワタシの場合、答えは教えていただけなかった。それは、この本響学にたどり着くためだと考えています。
目指すところは、皆が自分自身で受け取ることができる世の中にすること。そのために、答えを与える人ではなく、感じるための境界を開く人を増やしていくことを目指します。さらに、境界は越えるためにあるのではなく、つなぐためにある。そして境界に立てる人を育てることを目的とします。
境界は消しません。消えませんから。
神と人を同一化しません。私たちは人間であるわけですから。
自分と他者を混同しません。共存しているだけですから。
現実と象徴を混同しません。感覚と事実を混同しません。でも互いに響き合うことはできます。
媒介者の修練
媒介者が地に足のつかない状態であってはなりません。ただ、感受性が強いだけ、霊感を持つだけであれば、周りをさらに不安定にさせてしまうことになるからです。強い心を持つことと共に、身体の健康、日々の精進が必要となります。
さらに、直感が大切としながらも、瞬時に判断できる力をつけていきます。
感情のまま動かない、ということ。
それには、知識、経験、知恵を引き出す技術などが必要となります。それは「意識のレベル」を高く持つ、高い意識を持っている必要がある、ということ。
人は、日々変化するもの。だから、低い意識へと身を置いてしまう日もある。ただ、高い意識状態を知るか知らないかは人によって変わります。
意識が高い状態とは、他からの捕らわれがない状態をさします。さらに、素直である状態。自他ともに受け入れ可能な状態をさすでしょう。
それは、人間力の現れとも言えます。
境界に立つ人であるならば、見える・見えないに関わらず、それに対してさえも中立である必要があるわけです。知識も必要です。どうぞ、これからの人生をイキイキと過ごすためにも、日々精進の気持ちと行動を忘れずお進みくださいね🍀理響も応援いたしております。
