なぜ本来の自分を生きていないのかに注目する

執筆者:

カテゴリ:

人は出来事だけでは生きていることを体感できない。

感覚と出来事が結びつき、自分なりの意味を見出した時に「私はここに生きている」という実感が生まれる。

本響学とはその「響き」と「意味」が結ばれる瞬間を探究する学びとなる。

これが今感じているワタシの考えをまとめたものです。

また、こちらは共感いただける方にコメントもいただけることができればと思っています。共に作っていただける方を募集している学びでもあります。もしよろしければ皆様の体験や思うことも教えていただければ幸いです。

ワタシの経験上では、本来の自分という可能性の中に居ないときに、物事が上手く運ばなくなるような体験をしてきました。

さらに、ご相談いただいた方に向けた鑑定結果をお伝えする中で、共に考え、ご自身で進む方向性を決断いただいたときに、次々とチャンスが訪れたことも見てきました。

それは、占いの結果をそのまま信じたわけではなく、様々な可能性の中から今のご自身に響いたものを、ご自身で選択した結果であると思います。

もちろん中には「言われたことを意識したら、周りの見え方が変わった」との意見もいただきましたが、それは、ご自身が動かれた結果であり、ワタシの力でも鑑定の正確さでもないとワタシは毎度感じております。

結局、元々転換期であったり、「変わりたい、変えたい」と思われる方に興味を持っていただいた結果なのですね。

人は、出会うべきタイミングで、出会うべき人と会っているわけです。

それは、長く続く縁だけではありません。

ご縁の長さで、出会いについて良い悪いを判断できないからですね。

スピリチュアルの世界で重要とされているような関係性、それはソウルメイトなどと言われる肩書きを求めることには本来何も意味はなく、最終的に、「みなソウルメイトだった」そう思えるくらい、「愛の人」へと進化していただくためだけにあると感じています。

人は、いつも最高の自分の状態である、それを求めがちです。それは「自分は自分であることが完璧で素晴らしい」その言葉と勘違いしている状態だとも取れます。

人は常に進化する、変化していくモノであると同時に、それを求められています。学びの中にある今はこれが最終形態、明日はまた最高に近づく、という謙虚さが必要でもあります。

ここで「モノ」と表現したことにも意味があります。

目に見えているワタシたち人間は、私たちが「物」として見えているものとなんら変わりないものであるわけです。それは優劣がないということ。

見えているものはすべて敬い、大切にされるべきであり、大切にするもの。姿形、値段などでは、モノの価値は測れないというのが、ワタシに伝わるいわゆる神々という存在からの言葉であります。

中身が大切、それは人間だけでなく物も同じ。そこを観られているわけです。


さて、人はなぜ、本来の自分から離れてしまうのでしょうか。

それは仕方のないこと。

もしそれを悩まれている方がいるのであれば、まったくもって心配ありません。あなたのせいではないことに気づいてください。気づいたときから、あなたの人生が変化を始めるわけです。これもタイミングだったのでしょう。

集団教育の中で育ち、持って生まれた個性だけでは、世の中で通用しないことを学びます。自分以外の価値観に触れるということ。

子供は、生きていくために、保護者と言われる者の支配下に置かされます。「子供は未熟であり、守るべき存在である。」という考えが歪み、本当に支配されてしまう子供もいます。

自分の叶えたかったもの、夢を、子供に託す保護者。

子供の特性を観察することもなく、早期教育を与える、それが正義だと思っている。才能や方向性、性格を観ることもなく、見抜くことも出来ない大人たち。

これは大人を責めているわけではなく、事実であります。現実であります。

ただ、段々と子供たちは気づき始めます。「生きていく(安心して過ごす)ためには、保護者の求める姿になるほかない」と。

すべての子供たちに当てはまるわけではありません。

精神性の高い、観察力にもすぐれた大人も多くいるとも思います。ただ、大人だってずっと学びは終わらないわけですから、完璧ではないのです。

ここまで、まるで「保護者や育った環境のせい」だと書いているようですが、子供だっていつまでも子供でいてよいはずはありません。

子供自身も内省し、現実を受け入れながら、「自分はどうしたいのか」と自分で考え行動する「自立」と、自分をコントロールする「自律」が必要となってきます。それは必ずしも、すべての大人が教えられるものではないことも知る必要があります。自分で気づく必要があります。それは今の自分との対話の必要性に気づくこと、本来人間にはその力は持ち合わせています。すべては気づく必要があるということなのです。


何か不自由が起こったり、理不尽なことに直面したときに、逃げる道を選ばず、その理由や原因、事実や事情を考えていくことをお勧めいたしております。

〇事実…何が起きたのか(現象)

〇原因…なぜ起きたのか(仕組み、要因)

〇事情…どのような背景があったのか(環境、経緯)

〇理由…その出来事や選択にどんな意味や意図があるのか(人の内面、価値観)

どうしても、理由を知りたい私たち人間ですが、理由自体は、見る角度(誰を主軸に見るか)によって変わるものであります。

事実と向き合い、原因を追究し、事情も考えながら、自分なりの理由を見出す

この必要性があります。

なんともこざかしいと感じる人もいるかもしれませんが、これは問題からの逃げ癖回避の方法です。

自分の出した答えである理由は、一つしかない、それが正義だと思うことから変化させ、もう少し謙虚さも必要だとも思います。

好きなことをして、イキイキしている方はもう気づいています。

人生、面倒なことの方が多い。そして、好きなことをするために現実から逃げない必要があること。目の前のことをコツコツこなすことでしか、成功が見えてこないこと。

他人が抱えている苦労は、自分にすべて見えていないという可能性も知る必要があります。


なぜ、本来の自分を生きていないのかと考えてみると分かってくることがあると思います。

自分から逃げていること。

現実と向き合う力が弱いこと。

自立(自分の足でしっかり立てること)できていないこと。

それは誰かのせいにしている可能性。

自分のことはすべて理解できているという傲慢さ。

私たちは、一人で生きているわけではありません。

でも、他の誰かのための自分になることが必要なわけではありません。

意外と、自分以外のことを考えていたり見ている時間が多いことにも気づかなければなりません。

本来の自分を生きている人は、意外と自分のすべきことで忙しいわけです。友人のことを考えることがあっても、相手の気持ちに共感してあげたいな、理解したいな、そのくらいです。もしかすると、恋愛からも遠ざかる生活になってしまうかもしれません。

そのような状態でも、心優しく、気遣いができる人はいるわけです。

まずは自立と自律を目指すこと

意識してみていただければ幸いです🍀

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です