般若心経とワタシと本響学

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般若心経とワタシの出会いは、ワタシの人生の中で特別な期間があったことに始まります。

ワタシ自身の感受性が高まり過ぎた頃、ワタシは、今までにない感覚を感じることとなりました。

それは人生の中でも衝撃的なことが立て続けに起こった時期であり、そのことが、偶然にも何人かの霊能者との出会う時期、元々付き合いのあった占い師との濃い時間を共に過ごすきっかけになった時期でもありました。

曾祖母の声が聞こえ、ワタシを導く何かの存在がいることに気づいた時期でもありました。

初めは「あー心療内科か精神科へ行かなければならない」そう思ったワタシでしたが、苦しむ中でも、人間らしい生活は送っている、家事もやっとこさでもこなしている、仕事も出来るものと辞めざるを得ないものがありましたが、家族に過度に負担をかけることなく出来ている、ましてや、ワタシが以前のようには動けなくなることで、家族が協力し、家事を手伝い、助け合うこととになるきっかけにもなったわけです。

今では衝撃的なその期間が、家族内では笑い話にもなっているくらいです。

自分に起こっていること、聞こえるものがただの妄想や幻聴、せん妄ではないことに気づくには、少しの期間を要しました。その中でタイミングよくやってくる(聴こえてくる)、「次に出会うべき人」「次にやるべきこと」などは、自分の意志や意識とは関係ないところからやってくるものだと気づいたことが大きな転換期になりました。

沖縄のユタはこれを「カミダーリ」と言いました。

よくよく聞くと、自身でカミダーリだと判断している人の中の多くは、統合失調症だと言います。でもあなたのは違う、それを判断いただけたきっかけは、聞こえていることのすべてが「予知」の出来事であったこと。そして霊能者の多くは言いました「こちらの世界に来なさい」「よく頑張ってきた」その言葉でした。

そしてワタシの中で信じるしかない、と思わせてくださった出来事が、これです。

とある神社へ呼ばれたと思いました。それは朝起きて一番です。

その神社は遠くはありませんが、山を登らなければなりません。歩けば、2時間弱はかかる、でも一人で行かなければならない…

以前に2度ほど、子供の保育園の行事で上ったその山にある神社。そういえばその時にもしものために保育士さんが車で山頂まできていたことを思い出しました。

「やっぱり行かなければならない」そう思いました。

天然記念物の大杉が二本立つその山。とても神聖である感覚は当時からしておりました。その奥にある神社。

その神社にお参りのあと、大杉の前を歩くと、「あ、誰か人形をお供えしているわ」そう思いました。でもその人形の前を歩くと、人形が、ワタシを目で追うではありませんか‼ 視線を感じたワタシは、恐る恐る見てみると、フクロウの赤ちゃんがそこに座っているのです。この写真は一応「写真撮らせてね」と伝えてカメラを向けると、カメラ目線で応えてくれました。神聖すぎて連れて帰ることはしませんでしたが、とても素敵なお招きをいただいた時間でした。

そこから、ワタシの人生での出来事は全て繋がっていたことを知らされる時間へとなっていきました。

その後も益々霊感は鋭くなり、でもそれは「霊障」というものから「導き」というものにワタシの感じ方が変化をしていくこととなりました。

もちろん、毎日の生活をこなしていくことが修行となることは以前から心得ていましたので、来るもの拒まず、の時期に突入していきました。

そこから3年ほど経ち、来るもの拒まずの生き方から、境界を持つ生き方を学び、今に至ります。

そのきっかけとなったのが、般若心経です。


般若心経は今では毎朝唱えています。

まずは今の嫁ぎ先の両親のご先祖に対し、また実家の両親のご先祖に対し、それぞれの題目を唱え、のちに般若心経を唱える。日課となっています。

そうすることでワタシの意識が、霊障から導きへと変化してきたことに気づきました。

霊障を悪いものと捉えがちですが、それ自体は良い悪いでは判断できることはなく、そこに同調している自分が居ることを知り、それらは何か言いたいことがある、伝えたい何かがあるのかもしれない、そういった考え方になるきっかけを与えてくれたのもです。

ワタシにとっては朝の日課で続いている理由でもあります。これは自分を主体としているということにもなると思います。

だから、よく勘違いされる、お経を唱えると祓うことができる、ということは、少し違う気がしています。

これを本響学的に表すのであれば

自分自身が良き響きの中にあるためには、「境界」と「共鳴」の両方が必要である

そのための般若心経だった、ということです。

繋がる先を選ぶということ。それも人間である以上必要なことです。

中には、普通では見えないであろうものを見えるようになりたい、高次元というものとつながりたい、そう思う方も多くいると聞きますが、

その方たちが見えないこと、つながれないと思う今の状態があるのであれば、それはあなたの人生にとって必要がないこと、または「今は」そのような状態が必要ない自分であることを知らなければなりません。

時がくれば、すでに繋がっていたことに気づくこととなるでしょう。

まずは、自分自身の内面、精神面、霊性の向上や成長に向き合う時なのです。

自分の成長に必要ない出来事は起こらない、乗り越えられないことも起こるはずがない、そのことをまず受け入れることから始めてみてはいかがでしょうか。

他人の生活や、他人の持っている能力や物質に目が行きすぎ、ないものねだりになりやすい世の中です。それさえも、自分の人生に起こっている「お試し」や「挑戦」だと気づくことも必要ですね。

例えば、亡くなった方に会いたい、声を聞きたい、と思うのであれば、自分のエネルギー状態がその方と同じである必要があるわけです。

それはつまり、その対象の方と意識を合わせる行為。普通に生きている人が行うには危険が伴うこともお分かりになると思います。

またそれは、今この世に生きている憧れの人に追いつきたいのであれば、その人とエネルギーを合わせると出会える確率が増えるわけです。

いつまでも憧れであるということは、自分よりも高い位置に相手の存在を感じているということ。だからこそ、自分の意識を向上させていくことが、出会えるきっかけを与えてくれるわけです。

人間に限らず、物にしてもエネルギーでつながっているわけですから、自分が愛を送るだけでは中々叶うものも叶いません。近づく努力をする。

でも一つ、希望をお伝えしたいのですが、

あなたの理想は、あなたの可能性としてあるから、思い浮かんだり望んだりするわけです。これもエネルギーがなせる業です。あなたを向上させるために、その可能性に気づかせるために、自分の「理想」として目の前に現れたわけです。

想像できるから、創造できる

この事は、ワタシが今までの人生で経験したこと、また周りの方の話を聞いていて気づいたことであります。

科学的に証明されていなくても、起こることは起こります。

世界は不思議なことは常に起こっているわけです。

すべての理由を知ろうとする必要もなく、その答えはいつか分かりますから、安心して本来の自分とつながってまいりましょう。

それが現実を動かす唯一の方法だとも思っています🍀

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