巫女体質とは、まさに、かつて神の言葉を降ろすといった仕事をしていた「巫女」のような体質の方をさします。
感受性が鋭く、他人の感情や、目に見えないものを感じ取りすぎてしまう人。
そしてその感受性は、霊的なものにまで及んでいくこともありますので、霊媒体質と呼ばれていたりもしますね。
巫女体質だからといって、それは必ずしも、巫病とつなげる必要はありません。
イタコ、ユタと言われるような霊能の仕事へと導かれる方たちには、他者に伝えるための精神性の向上や素晴らしい人間性、この世での常識、知識、経験、また見えないものへの審神者的能力が必要となりますので、巫病と向き合う方もあると思います。元々大きな魂を持つその者たちがみな、初めから心の器が大きいわけではないのです。人にアドバイスする立場にあるのであれば、魂の大きさだけでなく、人間としての経験と心の大きさ・おおらかさ・器の大きさを持つことが必須であると感じております。
ただ、今の時代、地球自体も変革の時期であり天災も増え初め、そのこと自体が地球のリセットとなり始めているのですが、宇宙の中で起こるこの地球という星の変化は、同じく地球に住む小宇宙・小地球であるワタシたちひとりひとりにとっても必要になっています。それはリセット。リセットとは破壊と再生。
そしてその再生をするために今思い出していくものが、その「巫」の部分であります。
「巫」「巫覡」
「巫」ふ・かんなぎ・・・女性の神に仕える人を指す
「巫覡」ふげき・・男性の神に仕える人を指す
これは、みなが巫女や巫覡になる必要があるわけではなく、誰でもなれる、素質があるというということを言っているわけではありません。特に感受性が鋭い人は、巫女体質である可能性があるという面があるため、お伝えしています。
ただ感受性が鋭い、巫女体質であるということが、神の言葉を伝えられるということにつながるわけでもありません。
ただ、このような人が「本来の自分」を取り戻すために、巫女体質であることを受け入れて、その中で生きていくことをお勧めしているということです。
日本人のご先祖を持つ私たちに共通していることは「神道」とのつながりです。
すべての物に神は宿る、ご先祖を敬うこのようなことであります。
だからこそ「物や人を大切に扱う」こと、ご先祖の性格や生き方そのものではなく、ただここまで命をつないでくださったことに感謝をする。それが今を生きるということであることを知る必要があります。
親・ご先祖すべてが素晴らしいものでなかったかもしれません。ただその業(カルマ)とも言えるものを、巫女体質の方々は昇華していくことを求められている、そのようにワタシには伝わってきております。
さらに、昔の人がこの世の生き方の法則として残してくださった「暦」「祭祀」「行事」は、今後ますます生きるヒントとして参考にしていくことになるでしょう。
今でさえ、様々な著書と出会ってきたワタシですが、修行とも言えるその最中には、降ってくる言葉と自分の感覚を頼りに日々をこなしてまいりました。そして著書で自分の行いが正しかった(ワタシ以外にも同じ言葉を受け取っている人がいた)ことを知っていくこととなりました。ワタシにとってはそれが自信へと変わっているわけです。
神棚を作ることやお墓詣りを定期的に行うことが巫女体質の者がやるべきことではなく、そこにはきちんと意味が理解出来ていることが必要なのです。
巫女体質の人には、その感じる能力で、業の解消、昇華へ向けて手伝っていただきたい、そのような意味が隠れているということです。それはあなただけのためではなく、自分の家族、また嫁ぎ先の家族のためになっていくことでしょう。そしてそのあとに、世のため、人のためと続いてミッションがやってくるわけです。
あなたが出来ることを、あなたが思いついたことを、ただやっていく。それだけです。「させていただく」という謙虚さがなければならない、そのようなことを言う方もいますが、そうではなく、ただ目の前のことを進めて行くという感覚です。
そうすることで、コントロールできなかった感受性が、自ら意図することなく、まるで強固な守護がつき、自分として乗り移ったかのようにコントロールできていることに気づき、そして、無駄な執着がなくなっていることに気づく日も訪れるわけです。それが本来のあなたの持って生まれた強さとなります。
特定の信仰を持たないワタシでも、ご先祖からの後押しがある現実を感じております。また、神仏とのご縁も、人とのご縁、仕事とのご縁もつながってきております。
信仰が助けてくれるわけではないことを、体験していただけることでしょう。
今のところワタシにとっての正しい信仰とは、自分を信じるというところに始まっています。それは自分に対しても誠実であるという意識であります。
今のように地球温暖化や天災があろうとも、彼岸の時期には彼岸花は咲き、桜の季節には木が枯れない限り桜は咲いている。変化はあっても、根本はなにも変わりないものなのです。
本響学とは、その根本となるものに触れ、その上で今に適応し生きる(変化を恐れない生き方)ことを、共に学んでいくことが出来たら、そう思っています🍀